「博報賞」
過去受賞者の活動紹介

第54回「博報賞」博報賞受賞
[大阪府]特定非営利活動法人 手話言語獲得習得支援研究機構(NPOこめっこ)

乳幼児期手話言語獲得習得支援事業「こめっこ」
特別支援教育領域

 手話は聴覚障害者のコミュニケーションを補助するツールではなく、ひとつの言語である―。この信念のもと、聞こえない、あるいは難聴の子どもたちが「日本手話のネイティブ」として力強く成長するために、乳幼児のうちから手話があふれる環境を提供し、オリジナルの方法を実践しているのが「NPOこめっこ」。
 良好な親子関係を築き、自信を持って子育てできるように、家族への手話指導にも力を入れ、積極的に相談に応じている。こうした取り組みが「聞こえない子どもの確実な自立に向けた貴重な教育活動」と高く評価され、第54回博報賞を受賞した。

手話で保護者と語り合う物井明子さん、久保沢寛さん、解説する河﨑佳子さん(左から)
手話で保護者と語り合う物井明子さん、久保沢寛さん、解説する河﨑佳子さん(左から)

「ろう」「聴」スタッフが一体 「手話ネイティブ」を育てる

 「コミュニケーションの芽をはぐくむ子どもたち」という想いで名付けられた「こめっこ」は、2017年6月に誕生した。国連が「障害者の権利に関する条約」で「手話は言語」と定義したことを受けて、大阪府が同年3月に「手話言語条例」を制定。この条例案の検討部会長を務めた神戸大教授で公認心理師、臨床心理士の河﨑佳子さんが、条例で府の役割と定めた「聴覚障害者が乳幼児期から家族と手話を獲得することのできる機会の確保を図る」(第3条、抜粋)を実現しようと、立ち上げに尽力した。日本財団の助成を受けて、公益社団法人「大阪聴力障害者協会」が府と連携・協力するかたちで始まり、2020年2月からは現在のNPOこめっこが運営している。
 誕生の背景には、日本のろう学校、療育機関の現状があった。聞こえない子どもたちに対して、健聴者の話す唇の形を読み取り、自ら発話する「口話法」を中心に指導されており、早期の手話取得には長く否定的だった。また、少しでも聴力を高めようと、人工内耳の手術をする子どもも多い。
 ただ、こうした方法だけだと、どうしてもハンディキャップを埋めきれない。子どもたちが成長とともに、意思疎通が十分にできず、他者との交流に後ろ向きになるなど、健聴者とのギャップに苦しむことになる。
 河﨑さんは長く、ろう者や家族の心理的支援を続けてきた経験から、「自分の意思をごまかさず、相手に正しく伝えるためには、乳幼児のころから手話と出合い、家庭や教育に手話があって、手話言語のネイティブになることがいかに大切かを痛感しました」と話す。そして、「手話ですべてがわかり、伝えられれば、自尊感情を守ることができます」と強調する。
 実際、保育園でストレスを感じ、自宅では補聴器を外しているという難聴の子が、こめっこでは生き生きとしている、というケースもあるという。このため、こめっこでは「手話言語の獲得」と「聴覚活用の支援」を両輪ととらえ、人工内耳を装用しない子も、する子も、支援の対象にしている。
 河﨑さんはこめっこに先立って、2015年春に京都市で「にじっこ」という早期支援、乳幼児支援活動を始めていた。そのとき、「スタッフには手話ネイティブのろう者が必要」と考え、すでに交流があった臨床心理士の物井明子さん、体育の教員免許を持ち幼児教育に取り組み始めていた久保沢寛さんに参加してもらった。
 物井さんは現在、こめっこの代表理事、久保沢さんは常務理事を務めている。河﨑さんはスーパーバイザーとしてこめっこを積極的に支えている。
 このほか、こめっこのスタッフやボランティアは、全く聞こえない人、手話を母語にしている「ネイティブ・サイナー」の人、難聴の人、人工内耳を装着している人、健聴で手話を学んでいる人、自身は聞こえるが両親が聞こえない「CODA(コーダ)」の人など、実にさまざまだ。事務局、ボランティアの計40人の半数が聴覚障害者だという。
 聞こえない乳幼児にとっては、人生で向かい合っていく社会の縮図のような環境だ。しかも、こめっこでは、あくまでも手話が共通言語であり、聞こえるスタッフが語る日本語は、健聴で手話に習熟していない家族のサポートのためにある。内容を正確に伝えるために、手話通訳者も活躍している。

「手話ぱんぱん」に反応する子どもたち

 こめっこの拠点は、大阪城のお膝元、JR森ノ宮駅に近い「大阪府立福祉情報コミュニケーションセンター」(大阪市東成区)。「べびこめ」(0-3歳)クラスが週2回、「こめっこ」(0-6歳)、「放課後こめっこ」(3-6歳)クラスが、隔週1回のペースで開かれている。このほか、小学生を対象にした「もあこめ」や放課後のクラスもある。毎回、十数人、多いときは20人以上の子どもたちが参加している。
 ベースになるのは、物井さんが中心になって考案した「手話ぱんぱん」という遊びの要素が満載のプログラムだ。名前を呼んだり、あいさつしたりすることからはじめ、季節や暮らしに関することをゆったりとした間合い、抑揚や強弱のメリハリがある動きの手話で語っていく。動物の特徴を大きな動きで表現する「どうぶつたいそう」は、子どもたちに大人気だ。
 物井さんは「ペースは違っても、子どもはきちんと成長していきます。子どもの持つ力は本当に大きいな、と教えてもらっています」と6年間を振り返る。別の女性スタッフも「いつも新しい発見、刺激をもらっている」と目を見張る。
 赤ちゃんは手話ぱんぱんの動きに合わせて体を揺らす。初めての手話をじっと見つめていた子は、やがて一生懸命に真似をするようになり、長い全体の流れのなかで、お気に入りの言葉が出てくるのを待つようになる。
 「手話ぱんぱん」が繰り返される光景は、親が何度も語りかける言葉を乳児が少しずつ身に付けていく過程と重なってみえる。覚え込ませるのではなく、手話があふれる空間を生み出して成長を見守ろうというゆとりがある。スタッフには、発達や心理の専門家もいる。子どもたちにストレスを与えず、保護者の安心感につながっている。コロナ禍には動画を制作して配信した。

スタッフの手話の動きをまねる子どもたち
スタッフの手話の動きをまねる子どもたち

悲観から希望へ。保護者も積極的に手話を学ぶ

 「1歳1カ月の息子と通っています。『ろう学校しか行けるところがないのか』と、この先が見えない不安でいっぱいでしたが、こめっこに来てからは『聞こえなくてもいいんだ』と思えるようになりました」
 「中度の難聴の娘をどう育てようかと悩んでいました。5カ月前からこめっこに通い、ろうスタッフの方々を見て、『うちの子もいきいきと育ってくれるんや』と実感できたことは大きかったです」
 子どもの将来を悲観していた保護者にとっても、不安が払拭され、子どもと伝え合える喜びを体感する意味は大きい。自身の手話習得への強い意欲につながっているようだ。
 聞こえない両親に手話で育てられたという常務理事の久保沢さんは「手話で世界が広がりました。手話という同じ言語で話せる仲間がいることが大事だと思います」と話す。河﨑さんも「手話ができると日本語の力もつく。論理的に話せるバイリンガルを育てていきたい」と意気込む。ここに集う子どもたちがどのように成長していくか。「こめっこ」はろう教育のあり方を考える壮大な実験でもある。


(企画・制作/産経新聞社メディア営業局 産経新聞2024年3月14日 掲載分より転載)
※記載の所属・役職は、受賞当時のものです。



博報賞とは

「博報賞」は、児童教育現場の活性化と支援を目的に、財団創立とともにつくられました。日々教育現場で尽力されている学校・団体・教育実践者の「波及効果が期待できる草の根的な活動と貢献」を顕彰しています。また、その成果の共有、地道な活動の継続と拡大の支援も行っています。
※活動領域:国語教育/日本語教育/特別支援教育/日本文化・ふるさと共創教育/国際文化・多文化共生教育 など

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