唯一の日本語の専門図書館をはじめ、国語研ならではの研究環境
東京都立川市に作られた新しい学術都市の一角にあるのが、国立国語研究所です。周辺には裁判所や国文学研究資料館・統計数理研究所・国立極地研究所、自治大学校といった施設が点在し、広々とした開放的な雰囲気です。敷地の入り口から研究所施設にかけては、背の高いイングリッシュオークの並木が来る人を迎えてくれます。大きいガラスの壁が特徴的な施設は、地上4階・地下1階で、中には図書室や大小の講堂、研究室、ラウンジなどを備えています。ここで常勤の研究者・職員だけで50~60人、非常勤も含めると200人前後の国内外の研究者が教育・研究活動を行っています。
国立国語研究所の施設でひときわ目を引くのが、研究図書室です。ここは日本語学、言語学、日本語教育などの文献・資料を所蔵する全国で唯一の日本語に関する専門図書館です。蔵書は日本語・外国語の図書で約15万5000冊、雑誌で約6000種に上ります。案内をしてくださった管理部研究推進課 研究支援グループの綱川博子さんは、「広辞苑や大辞林などの辞典類も初版から現在の版まで、すべてを揃えています。1階の書庫にも、全国の方言に関する資料や一般には流通しないような言語資料も収蔵されていて、ここにある蔵書は国語研の財産です」と話します。
また施設の2階には、外部からの滞在研究者が使える研究室があり、デスク、パソコン、プリンター、ロッカー、ホワイトボード、給湯設備などが整えられています。「海外からいらした研究者の方々の事務的な窓口は、私どもの研究支援グループになります。研究所内でお困りのことは、可能な限りこちらでサポートさせていただきます」(綱川さん)。
さらに海外の研究者の受け入れ担当教員としては、国立国語研究所の全教員が対象、と綱川さんは話します。「実際の受け入れ時には個々に担当教員がつきますが、たとえば海外の研究者の方が所内で研究発表をされるときは、所内からも多くの教員が集まり、さまざまな視点から知識やアドバイスをもらえます。研究のうえで何か疑問があれば、どの教員でも答えてくれると思いますし、違う分野の教員を紹介することもあります。受け入れ担当教員だけではなく、全所員で協力させていただいています」と綱川さん。管理部研究推進課課長の丹生久美子さんも、「研究発表によく使う会場は規模が大きすぎず、アットホームな雰囲気です。発表者と聴講する人の距離が近いですので質問もしやすく、お互いに交流を深めていただけると思います」と語ります。
「それから、ここは東京都心から電車で1時間ほどの距離にありますが、意外に交通の便がいいのも特徴です。バスで立川駅から羽田空港まで1時間10分ですし、成田空港にもバスで2時間少々で行けます。国内外の研究者の方々もここで研究会をして、その足でバスに乗って羽田・成田に行かれる方もたくさんおられます」(丹生さん)。
日本語の研究者・学習者に「コーパス」を活用してほしい
国立国語研究所の研究には「音声言語研究領域」「理論・対照研究領域」「日本語教育研究領域」「言語変異研究領域」「言語変化研究領域」という、大きく分けて5つの領域があります。それぞれの領域で、数多くの海外の研究者の受け入れや共同研究を行ってきています。
本フェローシップの受け入れ担当教員をされた音声言語研究領域の柏野和佳子准教授は、その経験についてこう語ります。「2016年に『論文形式文章作成のための日本語教育~ベトナム人の文化的特性による語彙の選択と構文~』というテーマで、ベトナムの研究者を受け入れたことがあります。ベトナムでは日本語教育が拡大するにつれ、大学学部や大学院修士課程で日本語の論文を書く例が増えています。しかし現地の学生の論文には話し言葉的な表現が混じることが多く、それによって尊大な印象を与えたり、逆に幼稚に見えたりすることが少なくありません。そうしたあやまりを調査分析し、改善策を考える研究でした。招聘研究者が帰国された現在も、共同で研究を続けています」。
このような研究で、鍵となっているのが「コーパス」です。
国立国語研究所では「コーパス」という言語資源を開発しています。これは体系的に言語資料を集め、それを単語に区切って品詞などの情報を付与し、さまざまな言葉の用例を引けるようにしたデータベースです。その一つ「現代日本語書き言葉均衡コーパス」は、国立国会図書館の納本資料や新聞、白書、ウェブ等からランダムに言葉を集めることで、現在の日本語を偏りなく分析・整理した、日本語研究の貴重な資源です。
「たとえば『いちばん』と『ひじょうに』という二つの副詞で、『いちばん』は漢語で硬い表現と思われがちですが、実は『いちばんいい』『いちばん楽しい』など、話し言葉によく使われる表現です。そういうことを確認できるのがコーパスの特徴です。また国語研のコーパスでは言葉の出典がすべて確認できます。『なので』とか『だから』といった接続詞は、雑誌ではよく使われますが、論文や白書では使われにくいといったこともわかります」(柏野准教授)。
国立国語研究所には「現代日本語書き言葉均衡コーパス」のほか、「日本語話し言葉コーパス」「多言語母語の日本語学習者横断コーパス」などさまざまなコーパスがあり、公開されているものは手続きをふめば誰でもアクセスが可能です。ただし、使い方に少しコツがあるので、それを国語研で覚えてもらうといいと柏野准教授は話します。
「海外の研究者にコーパスの使い方を習得していただくと、自国に帰っても使うことできます。また教員が研究や指導に使うだけでなく、その国の学生にも教えてあげると、学生も自分で用例を引いて適切な言葉で論文を書けるようになります。今は、ほとんどの資源がネットワーク経由で海外からも利用可能になっていますので、ぜひ多くの研究者、学習者に活用していただければと思います」。
「国語研で研究してよかった」と言ってもらえるように
柏野准教授は、海外の研究者を受け入れることで、国立国語研究所の研究者にもメリットが多いと話します。
「たとえばベトナムの学生の論文では、「調査結果を紹介する」というように、日本人なら『述べる』『示す』と表現するところが、『紹介する』となっていることがよくあります。それはベトナムの単語を日本語に直訳すると『紹介』になるからです。単純に日本人が話す話し言葉と書き言葉が混じるというだけではなく、論文のときにはこの表現に気をつけなくてはいけないと指導する必要があると実感しました。そういう言語の違いは純粋に興味をかきたてられますし、こちらから情報を発信するときの参考にもなります。外国語との対照研究は相当にメリットがあると思います」。
最後に今後、本フェローシップに応募される研究者へのメッセージを、研究推進グループの綱川さんと柏野准教授にうかがいました。「こちらに来ていただければ、いつでも全所員でお迎えする体制はできています。ここでしか吸収できないことを吸収していただき、ここをステップにしてご自身の研究を進めていただければと思います。帰国された後に『国立国語研究所で研究してよかった』と言っていただけるように私どもも協力してまいります」(綱川さん)
「国語研では今現在、開発中のコーパスがたくさんあります。もし、自国でもコーパスを構築してみたいという研究者がいらっしゃれば、ぜひ実地体験にいらしてください。データの収集法、公開のための許諾のとり方、情報の付与や整理の方法、公開のしかたなど、開発の段階ごとにある課題をクリアしながら進んでいくプロセスを見ていただくのは、貴重な経験になると思います。
それから国語研のある東京都立川市は、都心からは少し離れますがデパートやショッピングセンターも多く、近くには大きな国営公園もありますし、緑の多い過ごしやすいエリアです。研究はもちろんですが、日々の日本の生活もたくさん楽しんでいただきたいと思います」(柏野准教授)