Vol.98 |
2023.08.15 |
季節のコトダマ
1971年ですから、もう50年も前の話です。
私が通っていた西宮の小学校に新聞社が取材にきました。夏休みに、プール遊びをしている子どもたちを撮影にきたのです。
取材の理由は、
気温33度を超える日が3日続いたから。
今の時代、真夏の気温が33度なんて、さほど暑いと感じません。ところが、50年前は、新聞記事になるほど異常なことでした。
四季がまだはっきりとあった私の子どもの頃、
「小さい秋を見つける」
という課題が出ました。まだまだ暑いけれど、日の暮れるのは明らかに
早くなる。早朝の日陰の場所も長くなる。通学していた小学校のすぐ近くで
開催されていた甲子園の高校野球。開催初日から数日は、大きな入道雲が
ありましたが、終わる頃には球場に赤とんぼが飛んでいました。
「季節というものは、ある日からパッと変わるのではなく、少しずつ忍び込んでくるもの。気がついたら次の季節になっている。だから、小さい秋をみつけて、季節の変化に敏感になろうね」
という先生の言葉を印象深く覚えています。
今でも自分が小学生に向けた「手紙」の授業をするときに、「季節の変化を自分なりにとらえて、手紙の冒頭に書きましょう」と教えます。「時候の挨拶」を写すのではなく、自分が発見した季節の移ろいを書く。
子どもたちは、
「朝、アスファルトの上に死んだセミがいっぱい落ちてました」
「風が気持ちよくて、自転車を漕ぐのが楽になりました」
「だんだんと黄色くなり稲穂は、お金持ちになっていくように堂々としてきました」
などと面白いことを書いてくる。これだけで、随分とセンスのいい手紙が書けるようになるものです。
日本人は、昔からこうした季節のうつろいが大好き。
秋来ぬと目にはさやかに見えねども
風の音にぞおどろかれぬる
秋がやってきました。目にはっきりと見えるわけではないけれども、
風の音でそれに気づかされました。
という藤原敏行の歌はその典型でしょう。
音の違いで、秋の気配を感じる。こうした発見が日本人の感性を育んできたことは間違いないようです。
子どもの頃に教わった「小さい秋を見つける体験」は、今でも私の中に生きています。手紙の冒頭には必ず、自分なりの季節の挨拶を書きます。ニュースや天気予報で、季節の変化を聞いて、こまめにメモしています。
残念ながら、私が子どもの頃とは地球環境が違います。史上最高の暑さを至るところで記録している今年。これは世界的な傾向でもあるそうです。海面温度が上がっているので、なかなか気温が下がらない。暑さは10月まで続くという予報もあります。
「小さい秋」を発見するのが難しい時代になりました。
しかし、そうは言っても、朝晩の日の長さは違うし、店頭に並ぶ食材も微妙に変化しているはず。デパートに行けばもう、完全な秋冬モードに変わっています。
「季節のコトダマ」は、酷暑の中でも必ず声をあげている。
その声を拾いあげ、新しい季節の到来を、いち早く言葉にできるようになりたいものですね。
まだまだ暑い日が続きます。
体調管理をしっかりして、次の季節の到来をワクワクしながら待ちましょう。