Vol.32 |
2019.07.08 |
料理のコトダマ
育ててもらった母親に文句を言うつもりは
ありません。
しかし、「男子、厨房に入らず」の教育は
まずかった。
一人、台所に立つたびに、悔やんでいます。
我が家は、男兄弟でした。
兄も父も背が高く、うろうろすると
確かに目障りでした。
その上、私は甘えん坊で、いつも母親の
そばにいたがった。
煩わしい母は、
「男は台所にくるものではない」
を連呼したのでした。
時代は、昭和。
「家庭科」の授業に調理もありました。
しかし、作るのは女子ばかり。
男子は皿を並べたり、鍋を覗くばかりでした。
今から思えば、男子は「大工仕事」、
女子は「調理」と暗黙のうちに分かれていた
ように記憶しています。
おかげで私は料理ができない。
その後、何度も覚える機会はあったのですが、
不器用な上に味音痴。
いつも濃いか、薄いか、焦げているか。
結局、いい年齢になっても包丁がまともに
使えないのです。
「男子、厨房に入らず」は、元々「孟子」の
「君子、庖厨を遠ざくるなり」からきているという
説があります。
台所が、動物たちを屠殺する場を兼ねていた時代。
生き物を殺すところを君子が見たら、
「殺すのは忍びない」「ご飯が喉に通らない」という
気分になってしまう。
そんなことでは国が治らないから、君子は
厨房に近づくな、という意味でした。
これが日本に入ってきたとき、「君子」が「男子」に
なってしまった。
その結果、私のような悲劇を招くことになったのです。
しかし世の中は様変わりし、今は料理のうまい
男子も多い。
スマホの料理アプリの進化につれて、かなり高度な
料理まで作れる男子が増えてきたようです。
一人暮らしの男子学生に、料理の話を聞くと、
「大抵のものはアプリを見ながら作ります。
実家に戻ったときに、母に味付けのコツを
習ったりもします」
と涼しい顔で答えます。
「私は料理が苦手でね」
というと、「これ、入れてますか?」
とアプリを2、3示される始末です。
「男子厨房に入らず」は遠くになりにけり。
これは、日本の大進化だと思う私は、
どうしようもない昭和の男なのかもしれません。
掃除に炊事、洗濯も、おおよそ身の回りの
ことは自分でできるようになる。
まずはこれを身に付けることが、
大切なのではないでしょうか。
自分で料理を作るから、親の料理のありがたみが
わかる。自分で掃除をするから、散らかさない
ようにする行動が芽生えてくる。
福沢諭吉先生は、「独立自尊」と言いました。
人に頼らずに自分の力だけでことを行い、
尊厳を保つ。
教育のスタートラインであることは間違いありません。
そんなことを、つい焼きすぎて、真っ黒に
焦げた魚を前に、考えています。