Vol.31 |
2019.06.24 |
アウトプットのコトダマ
中学、高校の勉強を理解できるようになったのは、
大学に入ってからでした。
大学1年から始めた塾の先生と家庭教師。
人に教えるようになって、はじめて理解が
進んだのです。
大学時代、中学生2人と高校生の受験勉強を。
塾では、小中学校の国語を教えていました。
「受験勉強を教えるくらい簡単だろう」
なめていた私が愚かでした。
大学受験を終えてゆるんだ私の脳では、
中学の数学が解けない。英語は忘れてしまった
単語ばかり。国語に至っては、自分で解けても
それを生徒にうまく伝えられません。
週に3日もある「講師業」のおかげで、土日は
自分が勉強しなくてはいけない。
問題を理解するだけでなく、それをわかりやすく
教える方法を考えなければいけません。
これだけでもつらいのに、塾ではテストも
作らされました。
市販のテストをやるだけでなく、子どもたちの
理解度によって、講師がテストを作るのが
この塾の方針でした。
これが、苦しかった。
ついこの間まで受験生だった私には
テストを作る実力が完全に欠如していました。
苦しんで作っても、先輩の先生や塾の事務局に
「これは難しすぎるよ」
「この三択は無理があるよ」
などと指摘される。何度もやめようかと思いました。
しかし、振り返るとこの時代に、私は
中学、高校の基礎学力を固めたように思うのです。
インプット一辺倒だった私の勉強が、
アウトプットに回ったことで飛躍的に変わりました。
学生時代、ちっともやる気の起きなかった問題集を
暇な時間にむさぼり読むようになりました。
アウトプットの大切さは、勉強全体に
言えることかもしれません。
私の受験勉強は、典型的な丸暗記型で、
英語の教科書も試験範囲を全部ソラで言える
まで覚えこみました。
これだけなら典型的なインプット型の学習
です。しかし私は部屋の中をうろうろ歩き、
まるで誰かに訴えかけるように、覚えた
フレーズを大きな声で口に出していたのです。
歩きながら、声を出しながら、
教えるつもりで勉強した方が深く身に付く。
実力は、インプットよりアウトプットで
磨かれていくもの。
これが学生時代に私が掴んだテーゼでした。
その思いは、今も変わりません。
大量にアウトプットすることで、
必要なインプットが入ってくる。
出し惜しみなく書くことで、
本当に必要なものをインプットしようと
いう気が起きてくるのです。
勉強は、教わるよりも教えること。
子どもたちが、自ら「教える」環境を
作れば、学力はもっと向上するのではないかと
ひそかに思っています。
みなさんも、アウトプットのコトダマを
大切にしてくださいね。