Vol.30 |
2019.06.10 |
本物のコトダマ
小学校4年生の秋、神戸の美術館で
クロード・モネの展覧会がありました。
日曜日に両親と兄といっしょに
この展覧会にいきました。
「モネ」
と聞いて、はじめは人の名前という
こともわからなかった私。
「モネを見に行こう」
と言われて、動物か何かを見に行くのか
と思ったほどです。
会場は絵画好きの人で溢れていました。
絵を観るのに、こんなに人が並ぶことに
まず驚いていました。
人の割には、絵が小さく感じました。
なぜうまいのか。
どこがいいのかも全くわかりませんでした。
しかし、母が、
「きれい!」
といつもとは違う「叫び」のような
声をあげた。
目の先には、
名作「アルジャントゥイユのひなげし」がかかって
いました。
私も「これはいい」と思いました。
ひなげしの花が揺れているように見えます。
坂道に光が反射して、空気までが気持ちよく
描かれているそうです。
「やっぱり、写真と違って、ほんものは
きれいねぇ」
と言った母の言葉が、耳に残りました。
「本物は、きれい」
この一言です。
家に帰ってから、モネの画集に入った
「アルジャントゥイユのひなげし」を見せて
もらいました。
確かに、違います。
ひなげしが、赤すぎるのです。
記憶の中にある絵画との比較ですから
正確な色の違いはわかりません。
しかし、あきらかに色が違う。
ひなげしが赤すぎるので、光を
浴びている感じがしません。
そうなると、夏の青い空までが
作りもののように見えてきてしまいます。
「そうか。これが『本物は、きれい』ということか」
子どもながらにそう確信したのでした。
子どもの時代に、本物に接すること。
その効果は、すぐにでることはないでしょう。
しかし、大人になってから見る本物と
子どものころに見る本物はあきらかに
違います。
心に響く大きさや、記憶に残る深さが
違うのです。
この時代に本物に接することで、
偽物やまがい物を見抜く力がつく。
審美眼は、若いころに本物を見聞きし、
触れたもので鍛えられるものではないでしょうか。
多くのものがスマホやPCの画面に表示
される時代です。色彩や音質の調整の
進化も早く、今は、本物によく似た画像を
手軽に楽しむことができます。
しかし、テクノロジーがどれほど進化
しても、巨匠モネが、直接筆を動かして
描き上げた光の粒や透明な風の流れまで
再現するのは難しいでしょう。
本物から発せられるコトダマ。
絵画でも音楽でも舞台でも、
なんでもかまいません。
「本物のコトダマ」に触れる機会を
お子さんのために作ってあげてください。
本物を味わう機会を、ぜひ夏休みの計画の
中に組み込んでください。