Vol.71 |
2021.05.17 |
判断のコトダマ
小学校3年生のとき、図書室の使い方を
学ぶ授業がありました。
本はどのように分類され、
本棚に並んでいるか。
読みたい本を借りるにはどうすればいいか。
期限までに返却できない場合、何をすべきか。
そんな説明を担任の先生から受けたあと、
それぞれ好きな本を探しに行きました。
選んだ本を読んで、感想文を書かなくては
いけない。
そう思うと気が重くなります。
「なるべく薄くて、簡単な本にしよう」
そんな気持ちで本を選ぼうとしていました。
気になったのは、「偉人伝」。
野口英世やエジソンがどんな人かは
なんとなく知っていました。
「全部読まなくても、書けそうな気がする」
そんなヨコシマな気持ちで、「あとがき」を
眺めて、感想文に使えそうな文章を探して
いました。
「ひきたくんは、伝記にするんだ」
と声をかけてきたのは担任の先生です。
しゃがみこんでいる私の背後から覗き込んでいます。
岡山弁のおっとりとした口調の先生です。
振り返って顔を見ると、笑顔でこう言ったのです。
「ここに本になっている人が、
みんな偉いわけやないんよ。
中には、偉いと思えない人もいる。
だから、読んでみてつまらなくても、
役に立たなくてもええの。
それを正直に先生に教えてほしいんや」
本になっているのに偉くない人もいる。
偉人伝シリーズなのに・・・
実に不思議な気持ちがしたものです。
私は先生の言葉の意味がよくわからない
ままに、「ベーブルース」と「ナポレオン」の
2冊を借りました。
家に帰って、まず「ベーブルース」を
読みました。
全く面白くなかった。
野球をしているだけで、何一つ
「偉いなぁ」「すごいなぁ」と思えるところが
ありませんでした。
仕方ないので私は、先生が言ったとおり、
「野球は一生懸命したけれど、特に
偉いと思うところはなかった」
と書きました。
それから数日後、「ナポレオン」も
読んでみました、
こちらも感動しませんでした。
戦争ばかりしています。
ただ唯一偉いと思ったのは、子どもの頃に
数学の勉強をしたエピソード。
私は、「数学の勉強をして偉いと思ったけど、
それを戦争に使ったのはよくない」
と原稿用紙に書きました。
翌々日の国語の時間です。
突然、先生が、私の感想文を
みんなの前で読み上げたのです。
みんなが一斉に笑いました。
「なんで、読むんだよ!」
と先生を怒りたい気持ちでいっぱいです。
すると先生が、
「本になっているから偉いと決めつけず、
なぜ偉いと思わなかったのか。どこが
尊敬できて、どこができなかったのか。
それを正直に書いてあって、先生は好きです」
と言ってくれたのです。
わずかこれだけのエピソードですが、
私はこれを機に、図書館にある「偉人伝シリーズ」を
全部読み、自分のモノサシで「偉い」「偉くない」を
決めました。それを作文にすると、先生が大きな丸と
原稿用紙のすみにいっぱい感想を書いてくれたのです。
もしこのことがなければ、
私は文章を書くことはおろか、
本もろくに読まないまま成長したと思います。
先生が私にくれたのは、きっと
「判断のコトダマ」
というもの。
人の意見ではなく、自分で良し悪しを
決めること。
批判的に本を読むことの大切さ。
それを教わったように思うのです。
大人になって、子どもに読書のコツを
教えるとき、私は必ずこの話をします。
「ここに本になっている人が、みんな
偉いわけやないんよ」
半世紀前の先生の笑顔を思い出しながら、
できるかぎりおだやかに子どもたちに
語りかけています。