異国の人との間で問題が起きたとき、それをどう考えてどう解決するか
今回のフェローシップの滞在研究の内容について、教えてください。
今回の研究のタイトルは「在日バングラデシュ人が直面する問題に焦点を当てた調査研究~バングラデシュの日本語学習者のためのケース教材の作成を目指して~」というものです。簡単にいうと、私の博士課程の指導教員の一人である近藤彩先生が『ビジネスコミュニケーションのためのケース学習』という本を出されていますが、こういうもののバングラデシュ版を作成するということです。
私は、国際交流基金日本語国際センターの木谷直之先生(主指導)、政策研究大学院大学の岩田夏穂先生と麗澤大学の近藤彩先生(副指導)にご指導いただいて博士論文を書きましたが、博論での課題を踏まえ、日本で留学や就職をするバングラデシュ人がどういう問題に直面するかを徹底的に調査し、ケース教材を作ろうということで今回の研究を行っています。
このケース教材は「問題発見能力」と「問題解決能力」と「異文化適応能力」、この三つの能力を学習者に育成するための方法です。バングラデシュ人が日本語を学んで日本に留学したり、海外・国内の日系企業に就職したりしたとき、宗教や文化の違い、考え方の違いにより、さまざまな問題が起こる可能性があります。
たとえば、バングラデシュ人の学生が日本でアルバイトをしていて、日本人と「時間の感覚」が違うことに戸惑いを覚えた例がありましたが、「日本人は時間に厳しいですから守ってください。遅刻したらダメですよ」と言うだけでは、すぐに頭から抜けてしまいます。しかしストーリーやエピソードがあり、そこで人々に店長の立場から考えさせたり、バングラデシュ人の学生の立場から考えさせたりしてディスカッションをし、そこで自分の考えが左右されたり影響を受けたりすると、それが頭に定着して行動が変わります。つまり、バングラデシュ人と日本人、あるいは他の国の外国人との間で問題が起きたときに、それをどのように捉え、どのように解決するか。客観的にものを把握する力などを育てる方法が、ケース教材を使った学習です。
最終的には仕事、アルバイト、宗教、家族滞在の子どもの学校生活など、テーマのバランスを考えて10数個のケースを集め、一冊にまとめたいと思っています。
バングラデシュの人が日本で生活をしたり、日系企業で働いたりするときに必要な実践的な日本語や、その背景にある考え方を学ぶものなのですね。
実は、日本で博士課程を修了して帰国した2016年、勤務しているダッカ大学でバングラデシュ史上初の日本言語文化学科ができ、私が学科長になりました。学士課程ができる前は日本語を教えているだけでもよかったのですが、でも4年間の学士課程となると日本の社会文化、日本人の考え方、ビジネスマナーといった異文化理解も必要になってきます。そういうことを学生が知るための教材もそうですし、これらの能力を育成させる教授法も確立しなければならない。そこで、学士課程でも必要とされている教材を作成することを目的にしています。
それと2016年4月に私はバングラデシュ日本語教師会を設立し、今も会長を務めています。バングラデシュが独立し、日本語が導入されて半世紀近くが経ちますが、日本言語文化の学士課程ができたことと日本語教師会の設立、この二つは、バングラデシュの日本語教育にとってもっとも大きな出来事です。
「クラスでいちばん日本語ができる人」から、日本語教師の道へ
日本語や日本語教師というお仕事に興味をもたれたきっかけは、どういうものですか?
私のもともとの専門は国際関係です。ダッカ大学の学士課程のうち1年目は英語が必修科目で、2年目は英語以外の外国語が選択必修科目で、そこで私は日本語を選びました。当時、日本語自体はまったく知らなかったです。でも日本という国は知っていました。小学校の教科書には「ヒロシマが話している」というタイトルの日本の話がありましたし、外交関係でもバングラデシュの独立戦争が終わったのが1971年12月で、そのわずか2か月後、1972年2月10日に日本政府はバングラデシュを承認してくれました。
さらに日本は欧米と違ってアジアの国です。アジアの国で、第二次世界大戦の経験をしてこれだけ発展したということで、日本はバングラデシュだけでなく世界中の途上国の憧れの存在でした。そこで自分の専門は国際関係だったし、外国語を勉強するなら日本語を選んで将来、日本の大学でまた国際関係学の修士、博士を目指そう。そう考えたのです。
大学での日本語学習は1年間のコースを修了すればよかったのですが、私はさらに自分で学費を払い、4年まで日本語を勉強しました。専門の国際関係と同時に日本語も勉強していて、日本語のほうが好きになってしまって(笑)。日本語の成績はいつもクラスでトップで、勉強が遅れている学生に教えたりしていましたから。
そういう私の様子を見ていた当時の日本語学科のヒロコ・カスヤ先生に「日本語の先生になりませんか」と誘われ、仕事として日本語教師の道を選んだという経緯があります。
その後、大学4年のときに初めて日本に留学し、帰国して卒業後、ダッカ大学の日本語の非常勤講師に採用されました。さらに国際交流基金と政策研究大学院大学、国立国語研究所の連携プログラムなどで修士課程、博士課程を取得。数年ごとに日本と母国を行き来しながら、ダッカ大学でも専任講師、助教授、准教授とキャリアアップしてきました。
現在、バングラデシュで日本語教育の修士、博士を持っているのは私だけです。南アジア8か国でも4~5人いるかいないか。それから国際交流基金では修士課程、博士課程、上級研修という指導者養成の三つのプログラムがありますが、私は三つとも修了しています。これは私が知っている限りでは、世界で私一人だと思います。
今回のフェローシップの研究環境や、フィールドワークの成果などを教えてください。
研究環境としては、ここ国際交流基金の日本語国際センターの院生の部屋を週3回、使わせてもらっています。コピー機やインターネットなども使うことができ、また図書館もこのセンターの中にありまして非常にいい環境で、恵まれています。あと私自身も何回も留学でこの日本語国際センターに来ているので、人も場所もよく知っているのであまり抵抗はないですね。そういう面ではよかったなと思っています。
そして今回の研究のフィールドワークでは、二つ重要な作業があります。一つは、在日バングラデシュ人やバングラデシュ人に接する日本人にインタビューをし、それを基にケース教材を作成することです。もう一つは、実際に模擬授業をして実践してそのケースが本当に適切かどうかを確かめることです。
模擬授業は今までにいろいろな大学の学生や個人に、7回くらいやりました。まずケース自体についてコメントをもらいます。こういうケースは日本に行ったことのない、日本の社会を知らない人が理解したり討論したりできるか、理解できないなら何が問題か、そういうフィードバックをもらって教材を改善します。
さらに実際に1時間半の模擬授業をして、学生にタスクシートを書いてもらいます。最初に自分が考えたことは黒ペンで書いてもらい、みんなと話した後に初めて気付いたこと、相手の言葉から客観的に考えたことを赤で書いてもらう。また、模擬授業の協力者のディスカッションを録音・録画し、後で丁寧に分析し、話の展開や気づきなどを確認します。そして本当にこの教材が適切なのかどうかを最終的に判断し、ケース教材に採用することを考えています。
こうしたフィールドワークは思ったよりも大変でした。インタビューも1回では済まず、各人のフォローアップインタビューが何回も必要になることも。人々の都合を合わせたり、私も東京、千葉、神奈川、いろいろなところに行ったりして時間もかかり、大変でした。でも、フィールドに入って留学や仕事のことだけでなく、日本に来ているバングラデシュ人の家族滞在で来ている人々の生活者として直面している問題など、いろいろな話を聞けたことはよかったと思います。
在日バングラデシュ人の在留資格でもっとも多いのは留学と仕事ですが、最近は家族滞在も増えていて全体の2~3割に上っています。そこで日本語が話せない母親とか、子どもの教育などの問題も深刻になってきていて、ていねいに見ていく必要があると実感しました。言葉そのものもよりも文化の違いが大きいので。
日本に滞在中の苦労はありますか?
研究の大変さはありますが、生活上の苦労はないですね。
今回は妻と子どもたちも日本に来ていますが、家族も私が博士課程で来ていた間の3年以上日本に滞在した経験があるので、日本の生活には慣れています。
子どもたちは日本語が得意で、学校でも言葉については問題ありません。娘は今中学2年生ですが、日本語能力試験の2級に受かりました。あと妻も日本で日本語教師研修を受けて、現地で日本語を教えたり、生け花をしたりしています。今回もせっかく日本にいるので、近くの公民館に行って日本人の先生から生け花を習い、腕を磨いています。
家族と一緒に日本に来ていて、週末にあちこち出かけたりするのもいいですね。今までいろいろなところに行きましたが、いちばんいい思い出は2018年12月に行った鹿児島です。私は個人的に西郷隆盛のことが大好きで、実はいろいろな人に顔が似ていると言われます(笑)。ちょうど去年、テレビドラマでも「西郷どん」をやっていましたし、私の昔のホームステイのホストファミリーのお母さんが鹿児島出身で、しかも名前が西郷さんだったんです。鹿児島にはいろいろな縁があります。
日本語学習者だけでなく、すべての社会人に役立つ異文化コミュニケーションを
最後に、今後の研究の展望を教えてください。
今いちばん楽しみにしているのは、今回のケース教材を1冊の本として出すことです。私は、今までいろいろな論文執筆や学会発表はしていますが、本として出したことはないので、これが第一号になるのでワクワクしています。
近藤先生の本は教材版と解説編がありますが、私の場合は合わせて1冊にするか、同じように2冊にするかはまだわからないですが、教材版は必ず作ります。そこは第一の目標です。私の場合は、日本語学習者のレベルに合わせてやさしい日本語バージョン(日本語能力試験のN2~N3程度)を作る予定です。
それとバングラデシュにはアルバイトの制度はなく、バングラデシュの学生はアルバイトが何かもわからないです。また日本のコンビニやレストランのこともわからない。コンビニとはどんなところで、どんな仕事をするか、何がバングラデシュ人にとって大変か。そうしたケースの背景がわかるような教材も作りたいと考えています。
たとえば「○時になったがお祈りの休憩はもらわなかった」という問題に対して、日本ではアルバイト勤務中は決まった休憩時間しかなく、わざわざお祈りのために休憩をとることはできません。そういうことが事前にわからないと、逆に日本人が悪いとか日本人がヘンだと思ってしまうのですね。だからそう思わないように、中立な立場から物事を理解できるようにしないといけない。そういう意味ではかなりハードなことを考えています。どこまでできるか(笑)。
そしてもう一つの展望は、すべてのケース教材のベンガル語バージョンを作ることです。このケース教材の作成はバングラデシュ人の日本語学習者のために始まったわけですが、でも実はこの研究は日本語・言葉とは関係なく、一人の人間、社会人としてどの人にも役立つものでもあります。
最近は日本でも、仕事や生活で異なる言語・文化の人たちと接することが増えています。そこで産業界や学校など、いろいろな分野で言葉や宗教・文化の壁を越えてお互いに学び合うという、ケース学習に注目が高まっています。この私のケース教材も、バングラデシュの企業研修などでも、講義やワークショップという形で実施することができます。そうした場合にも使えるように日本語の教材に加えて、すべてのケースのベンガル語バージョンを作成し、教材に入れようと考えています。
つまり日本語を学ぶというよりも、異文化コミュニケーション、異文化理解を目的としたもので、これは招聘研究を終えて国に帰った後も、私の研究の柱の一つになると思っています。
(2019年5月取材)