日本人の名前を持ったアメリカ人
シラネ先生といえば、現在、海外の日本文学研究をリードする存在でいらっしゃいますが、まず先生のプロフィールについて教えてください。先生のお生まれは日本ですか?
私は東京生まれですが、1歳の時に両親とともにアメリカに渡って、アメリカで育ちました。戦後に多くの物理学者が研究のためにアメリカに渡りましたが、私の父もその一人です。当時は、多くの移民がアメリカ社会に同化するために、家庭でも英語を使いました。父と母は日本語で話すこともありましたが、子どもの前では常に英語でしたね。身近には日本人はもちろん、東洋人もいない環境でした。私は日本人の名前を持っていますが、アメリカ人なんです。
子どもの頃から日本語を使って生活していたわけではないんですね。日本文学を研究するようになったのははぜですか?
私は、子どもの頃はあまり日本に関心がなかったんですが、大学3年生でイギリスに留学した時、まわりからいろいろと日本について聞かれたんです。日本人だと思われたんですね。それで、日本とはいったいどういう国なんだろうと、初めて文化や文学に興味を覚えたんです。その時、日本に『源氏物語』というものがあると知り、英訳で読んで、これはぜひ原文で読みたいと思いました。私はそれまで英文学、イギリスの小説や美術を学んでいたんですが、大学に戻って日本文学を勉強し直し、大学卒業後に日本に留学して日本語学校で日本語を学びました。その後、駒場にある東京大学の比較文学比較文化研究室へ行きました。それが私の日本文学研究の出発点です。
その後、アメリカで大学院へ進まれたんですね。
そうです。修士、博士課程を終えて、博士論文は源氏物語について書きました。本郷の東京大学に源氏物語研究の先生がいらして、そこに修行に行ったんです。その後、アメリカに戻って就職し、南カリフォルニア大学で3年間勤めた後、母校のコロンビア大学に戻りました。
コロンビア大学は日本研究が盛んで、約700人もの学生が日本語を学んでいます。私の専門は日本文学、なかでも古典ですが、学生たちは歴史、宗教、美術など、いろいろな分野で日本について学び、博士号を取り、研究者となっています。つまり、日本研究の研究者を養成しているわけですね。
私も古典文学だけでなく、幅広く日本の文学・文化について教えていて、それは様々な時代、様々なジャンルに渡っています。そんな中で、いろいろな日本の作品を英訳したり、英訳した作品を集めたアンソロジーを作ったりしています。私の最初の本は源氏物語の研究でしたが、その後、詩歌に興味を持ち、松尾芭蕉の俳句が欧米にどういう影響を与えたか?ということを本に書きました。
また、私は古典文学を教える時、学生に古文も教えています。そのために古文の教科書も作りました。学生に日本語を全部マスターさせてから古文に入るのではなく、ラテン語やギリシャ語を教えるように古文も教えられるのではないかと思い、その方法を発明したんです。もちろん、現代の日本語も少しは知らないといけませんが、日本語を古文から学ぶことができます。今、アメリカで日本の古文を学ぶ人は、だいたいその教科書を使っていると思います。
日本の芸能は〝見えないものを見せる〟
シラネ先生の今回の研究は能を中心とした日本の芸能ということですが、なぜこのテーマで研究をしようと思ったのですか?
私は今年の2月、33篇の御伽草子を訳して編集した本を出版しました。タイトルは『Monsters, Animals, and Other Worlds』、つまり『妖怪異類ものと他界』です。この本を作りながら、私はなぜこんなに中世、近世、近代以前の日本では〝他界〟が重要なのかと考えさせられました。他界とは、つまり亡くなった後の世界であり、神や仏の世界ですね。中世の人々は、この他界、異界を非常に恐れていました。現世の幸福、不幸はすべて他界からもたらされると信じていたんです。でも、今生きている現世は見えるけれど、他界は目には見えないものです。見えないからこそ、より一層恐ろしい。
日本の芸能─能、浄瑠璃、歌舞伎、それに絵巻などは、この他界、異界を扱ったものが非常に多いんです。謡曲(能の詞章と曲)の8割は、現世ではなく、異界との出会いですね。これは私の発想ですが、芸能には〝見えないものを見せる〟、そういう重要な役割があったのではないかと考えました。
また、日本の神は『高砂』(能の作品のひとつ。松の神の化身が老夫婦の姿で現れる)のようにただ優しいだけではなく、荒ぶる神、怒る神もいる。そして、現世に災害などの不幸をもたらします。芸能は、こうした様子をこの現世に目に見える形で再現すると同時に、幸運をもたらす神に感謝を捧げ、不幸をもたらす神を鎮魂する役割も持っています。また不幸にして亡くなった人の魂を慰めるなど…。このあたりのパターンは非常に複雑で、いろいろな観点から研究をしています。
能だけではなく、他界をテーマに幅広い分野で研究しているんですね。
他界・異界と、その主役である神、仏、死霊、鬼などが、私の研究の重要なキータームとなっています。ジャンルは説話、寺院縁起、舞、能、狂言、御伽草子など多岐に渡ります。
能のストーリーで非常に多いのは、他界から神や仏、亡くなった家族や先祖が霊となってメッセージを伝えるというものです。夢で伝えることも多いですが、化身、つまり人間の形をとって伝えることもあり、化身は翁(老人)、童(子ども)、巫女などが定型となっています。でも、こうした形は能からはじまったわけではありません。平安時代後期から、いろいろな説話集、各地域の寺社縁起、絵巻物などに神や仏が化身となって出てくる話があります。重要なのは能以前、どうして能にそういう世界観が表れたのかということです。私は、その後ろにある歴史が知りたいんです。
私はずっと御伽草子の研究をしてきたんですが、御伽草子と能の結びつきはほとんど研究されていません。でも、文学と芸能とジャンルは違いますが、重なっているところが多いんです。時代も同じですし、扱う題材も同じものがあります。例えば、能には小野小町、和泉式部を題材にした作品が多いんですが、これは御伽草子も同じです。能に『誓願寺』という有名な作品がありますが、能のストーリーだけではわからないところがあるんですね。この作品の中で、和泉式部は簡単に菩薩になっているんですが、なぜ菩薩になったのかが説明されていない。けれども御伽草子の和泉式部の物語をみると、和泉式部がそれまでいかに罪を犯しているのかが書かれています。そして最後に性空上人の弟子となって仏門に入るんです。
私にとっては、総括的に見るということが非常に大事ですから、能と御伽草子、どちらの要素も必要です。そして、時代の大きな系譜の中に、能を位置づけしたかったんです。
千年に渡り受け継がれる伝統芸能を体感
今回、日本に滞在して研究しなければありえなかったという発見や経験はありましたか?
一番大きいのは、パフォーマンスとしての能を体験し、理解を深めたことです。国立劇場に週に何度も通って実際に能を観ましたし、3月に来日してすぐに、能楽師の方に謡(うたい。能の声楽部分)を習いました。実際のパフォーマーに接触し、お稽古を受けることができたんですね。日本には、こうしたアマチュアがプロに習う場があり、中世から現代まで、千年もの長い間、伝統芸能が続いているということが奇跡だと思います。実際に自分でやってみて、いかに難しいかわかりましたし、能はただのセリフのある劇ではなく、音楽、舞、音声が重要なオペラ的芸能だということが実感できました。
謡の楽譜は、いろいろなマークなどがあって、それが何を意味するのかわからないんですね。それは先生から直接、口述で習わないと理解できないんです。また、能にはいろいろな流派があり、私に教えてくださった先生は観世流だったんですが、舞台ではシテ方、ワキ方、狂言方、場合によっては囃子の流儀が違うこともあります。でも、そこには共通の音楽構造がありますから、プロであれば流儀が違ってもきちんとタイミングが合うわけです。そうした日本独特の世界を垣間見ることができたのは、非常に貴重な経験だったと思います。
日本を研究していてよかったと思うのは、こうした伝統が今も残っていることです。ヨーロッパでは、古代や中世の建物、絵画などの芸術は残っていますが、能のような演劇や祭りなど、生きている芸能はほとんど残っていないんです。
なぜ日本ではこうした古典芸能が続いてきたのでしょうか。
ひとつは家によって受け継がれてきたことが大きいですね。日本には家元制度などといって、家に代々、伝統芸能を伝えていく制度があったんです。かつて日本には個人というものがなかったんですね。個人は家の一部であり、家のために存在しているものだった。そのために伝統がしっかり守られてきたんです。また、さきほど話した日本独特の師弟関係ですね。プロがアマチュアに教え、それで収入を得るシステムがあったのも要因のひとつです。ヨーロッパではパトロンが必要でしたから、パトロンの消滅とともに芸能が廃れてしまいました。しかも日本の場合は、個人バラバラではなく、先生と生徒、先輩と後輩といった流派のまとまりがあって、それが日本文化を支える大きな原動力になっていますね。
もうひとつは、日本の芸能は年中行事と深く結びついていることです。今回の滞在でも、全国いろいろな年中行事を見に行きました。祭りが多いんですが、祭りの中心はやっぱり芸能です。例えば今年の4月、私は大阪の四天王寺の年中行事・聖霊会(しょうりょうえ)に行きました。これは聖徳太子の命日にその霊を慰めるために催される、舞楽と法要が一体となった舞楽大法要です。この舞楽は平安時代以来、1400年間も続いています。年中行事ですから、毎年必ずやらなければならない。やらなければ祟りを受けるかもしれないわけです。
最後に、今回の研究をご自身の今後にどう活かしていくのか、また後の研究者にどう伝えていこうとお考えですか
私は今、今回の研究の成果をまとめた本を書いています。タイトルはShowing the Unseen: Gods, Demons, Ghosts, Performance and Borders、つまり『見えないものを見せる』、サブタイトルは神、鬼、幽霊、境界とパフォーマンスです。この半年の研究期間で、私は毎月ひとつのチャプターを書くことにし、まだ非常にラフな状態ですが、現在5章まで書き終えています。研究者の第一の目標としては、この本をなるべく早く完成させたいと思っています。
どう伝えていくかについては、春に始まるコースでこの研究内容を取り入れていく予定です。ちょっと考えているのは、学部生にはこうした古典芸能とポピュラーカルチャーを結び付けてみせようかと思っているんです。日本の漫画やアニメにも、他界がテーマになったものが多いですし、絵巻物は今でいう映画のようなものです。こう映像が右から左へと動いてつながっていくんですね。そして、絵画の内容を僧侶などが絵解き(解説)するわけです。
授業では、私が僧侶の代わりに絵解きすることも考えています。上手な語り手になれるかどうかという問題はありますが(笑)。そして、最終的には学生たちにも(絵巻物を)作ってもらいたいと思っています。日本の師弟制度と同じように、ただ見て聞くだけではなく、自分で参加してみる、体験してみるということが、これからの教育の場でも非常に重要になっていくのではないかと思っています。
(2018年8月取材)