研究紹介ファイル
No.6 常深 浩平氏
物語を読み解き、楽しむ経験が、
他者の立場にたってものを見る力を育んでくれる
「文字通りではない言葉」。ドキリとするタイトルだ。 日常生活において「文字通りではない言葉」を使ったコミュニケーションはそこかしこで交わされている。いっとき流行った"空気読めない"は「文字通りではない言葉」が理解できていない状況の表現ともいえそうだ。 常深さんは、嘘や皮肉、お世辞、冗談、比喩など、言葉の裏や含みを理解しなければ本当の意味がわかったことにはならないものを「文字通りではない言葉」と大きく括り、それらの理解は社会生活を円滑に営む上で非常に重要な対人コミュニケーション能力のひとつだと考えている。では、人はどのようにして「文字通りではない言葉」を理解するのだろう。 「共同研究者の田村綾菜さんと二人三脚で行った研究です。僕自身は成人を対象に物語とは何か、人は物語をどう理解していくのかという研究をしていましたが、子どもの物語理解のメカニズムはどうなのかとか、当時自閉症スペクトラム障害のある人はフィクションを読むのが苦手なようだという知見も出ており、だとしたら物語が理解できないという発達的な問題はなんなのだろうとか、複数の視点から見ていかないと物語読解研究が広がりを見せないなと感じていたところでした。そんな時、田村さんに声をかけてもらったのです」。
田村さんは研究と合わせて療育の現場で活動しており、高機能自閉症や学習障害を抱える児童が皮肉やお世辞、謙遜といったものの理解が苦手で、そういった児童は対人コミュニケーションも円滑でないという状況を知って、両者の関係に関心を持っていた。
一方、常深さんは、それまでの物語研究の中で、長文物語を読んだときに構築される記憶と、自伝的記憶の構造が類似していることに注目していた。自伝的記憶とはその人が現実世界で体験して得た記憶のこと。構造が似ているのならば、現実では経験していないことも物語を読むことで疑似体験できるのではと考えていた。
また、先行研究によれば対人コミュニケーション能力には「視点取得能力」が深く関係しており、「視点取得能力」と「物語読解経験」にも関連があることが報告されていた。だとしたら物語を読み、皮肉やお世辞といった場面を擬似体験として積みあげることで、視点取得能力の獲得や、「文字通りではない言葉」の理解、ひいてはコミュニケーション能力の向上につなげていけるのでは、と常深さんは考えた。【図1】
そこで、これら3要因の関係を明らかにしたうえで、「文字通りではない言葉」の理解を深められる物語教材の作成と、発達障害児の対人コミュニケーション支援への貢献を見すえて研究を始めた。
【図1】対人コミュニケーション能力の形成に対して物語読解がもたらす作用の仮説的モデル
他者の立場でものを見る視点取得能力とは何か?
さて、視点取得能力には次の3つの発達段階がある。
- 空間的視点取得=実際に動くことで他者の視点を確かめられる【図2】
- ②認知的視点取得=相手の心の中を想像しないと得られない【参照1-どんなきもちだろう?】
- ③社会的視点取得=自分の立場や感情を越え、より一般的、より社会的なルールを含めた中で第三者的に判断できる。
空間的・認知的視点取得能力は、比較的早い時期(幼児期)に得られるといわれ、年齢とともに高度な視点取得能力を獲得していくと考えられている。
一方、「文字通りではない言葉」の理解は幼児期から児童期にかけて発達することがわかっており、成人と同等に理解できるようになるのは小学校5年生程度といわれている。そこで本研究では小学校中~高学年を調査対象とすることとした。しかし、小学校に調査協力を依頼する場合、子どもたちへの負担を考慮し時間的な制約を受けることが多い。限られた機会で確実に成果を出せるよう、課題精査の意味も含めて、まず大学生を対象に予備調査を行うことにした。皮肉、比喩、お世辞、謙遜の4つの理解と視点取得能力の関係を調査したところ、これら「文字通りではない言葉」の理解には、社会的視点取得能力が関わっている可能性が示唆された。
次に本調査では小学校3~6年生、計392名を対象に「文字通りではない言葉」と視点取得の課題を実施した。さらに読書習慣に関する質問紙調査によって、読書量を物語と物語以外に分けて推定した。その結果、「文字通りではない言葉」の理解と視点取得能力の間に明確な関連は見つからなかったが、物語の読書量と社会的視点取得能力との間には関連が見られた。
【図2】円すいはAさんには丸に、Bさんには三角に見えている。このように自分で物理的に動いて確かめることができる視点。
物語読解経験は、視点取得能力を高める効果があるのか?
これらの検討結果から、「文字通りではない言葉」の理解を含む物語教材を用いることで視点取得能力を育成できる可能性が示唆された、と常深さんは考え、独自に物語教材【参照1】を作成した。さらに、その物語教材を使って、自閉症スペクトラム障害と診断されている3年生男児に介入調査を試みた。介入の方法は、先に協力校で実施したのと同じ「文字通りではない言葉」の課題と視点取得課題に回答してもらい、その後、物語教材を使って視点取得の練習をする。練習後は「文字通りではない言葉」の理解が深まったかを確かめる、というものだ。しかし、このときはお世辞と皮肉は正答だったが、謙遜は練習後も誤答のままだった。
「反省点はたくさんあります。やり始めて気づいたことなのですが、物語教材は1回読むと飽きてしまう、という問題点が大きかった。同じお話を繰り返し読むことは、幼児期を過ぎて小学生以降になると、あまりしなくなるものです。また、療育の場で活用するには、長いお話だと読むこと自体が大変な場合もあるので、長さも含め、助成終了後も継続して内容を練り直し、質を高めていきました」。
さらにその後もう一度介入調査を行い、「謙遜も含め、文字通りではない言葉を含んだお話を1週間ぐらいの間、ある程度の頻度で読み聞かせをすると視点取得能力が上がっていく、そういうところまでは1本の論文にまとめることができました。大勢の人を集めて調査するのが難しいケースなので、少ない人数という制約の中ではありましたが一定の効果が認められるだろうという結論は出せたと思います」。
これら物語教材は、常深さんの母校である京都大学の〈こころの未来研究センター〉の研究プロジェクト「発達障害と読み書き支援」と連携し、発達障害児を対象とした学習支援プログラムに参加する児童にも使用された。
「どんなきもちだろう?」
対象:認知的視点取得が苦手なお子さん 形式:読み聞かせ,音読,黙読
【参照1】常深さんオリジナルの物語教材(一部抜粋)
研究と保育者の育成、両輪を得た環境で見えてきたもの
その後も、物語教材の効果を検証し、視点取得能力により効果のある教材になるよう改善して、幼稚園・保育所、小学校、それ以上の年齢層での運用を、と考えていた常深さんだったが、大学で教鞭をとるようになって5年目、研究を形にする時間が取れないという悩みも抱えているようだ。
「ただ、蓄えができている気がします。幼稚園や保育所、児童施設といった現場を訪れたり、学生たちと話をしている中で、研究でああだったことは現実場面ではこういうことなのかという実感がわいたり、研究ではこう言ったけれども、現場の感覚だと違うかもしれない。じゃあそれはどういうことなんだ、と考える機会があったり。研究と教育現場のバランスが取れ、両輪がしっかりしたと感じています」。
常深さんは現在、乳幼児の保育や教育に関わる仕事を志す学生たちを指導しており、発達心理学や保育内容指導法の中の言葉の領域を教えている。これまで研究で培ってきたものは、授業をとおして学生に伝えられているようだ。
「保育士も幼稚園教諭も共通して、5つの領域を基本的に学ぶことになっています。健康、人間関係、表現、環境、そして言葉の5領域です。僕は言葉の発達について担当させてもらい、別の先生が読み聞かせの方法や紙芝居の技術など現場の実践的な側面を補ってくれています。
言葉の発達の中では、"言葉を発することの意味"の解説が大切だと感じています。これは言葉を習得する前を例に考えるほうがわかりやすいと思います。保育所には乳児クラスがあるので、0歳児や1歳児を前にして、言葉も話さないし何をしていいかわからない、コミュニケーションがとれないという学生が出てくるのです。そういうときは、言葉とはそもそも意味を乗っけて出す乗り物みたいなものだという考え方があって、大事なのは乗り物ではなく乗っている内容のほうなのだという説明をします。これを理解していると言葉というものの理解もまた深まっていくよ、と」。
言葉の意味だけでなく、そこに込められた真意まで含めて意味をとらえることが大切だと、常深さんは学生たちに教えているのだ。
「赤ちゃんは言葉は発しないけれど反応はしている。例えばこちらの動きを目で追って動くときは、その動きが赤ちゃんの言葉なのだと話しています。広い意味でコミュニケーションですね、言葉は使わないけれどコミュニケーション。やがていろいろな細かい内容まで表現できるようになっていくのが言葉を獲得していくということなのだ、と」。
物語とは何か -- ライフテーマとともに歩み続ける
研究と保育者の育成、両輪を得た今の環境で、常深さんは今後どのように読書研究と関わっていこうと考えているのか。
助成研究をきっかけに、子どもの発達と対人コミュニケーション能力という新たな扉が開けた、と言う常深さん。
「今の仕事で保育の現場や施設に行かせてもらう機会を得ましたので、ひとつは療育支援教育ともからめ、この5年間の蓄積を研究として昇華させていきたいですね。具体的には物語教材の検証や改良です。これは近いうちになんとか時間を作りながら取り組んでいきたいと思っています。
もうひとつ、今後は子どもが初めて物語を理解し始める時と、子どもが現実というものをある程度理解し始める時期には関連があるのではないか、ということを研究していければと思います」。
さらに、やはり物語とは何かということをライフテーマとしてやっていきたい、と常深さんは言う。
「人はどのように物語を理解するのか、物語の世界と現実の関係を認知心理学的に検討する研究をずっとやってきました。物語の楽しみは疑似体験ができることで、楽しみの根底には自分自身の現実体験=自伝的記憶がある、というのが僕の考え方です。お話を読んでいる時に、お話の世界がすごく好きになり没頭することがありますよね。僕の研究から言えば、その世界の素晴らしさは自分の記憶から引き出されているはずなんです。つまり現実が素晴らしいんですよ。ですから、物語を通して現実というものがいかに生きていくのに意義のあるところか、ということを発信し続けていければと思いますし、自分の人生を物語として楽しんでもらうためのお手伝いができるようになれば本望かな、と思います」。
その子がその時に読みたい本、それがお薦めの1冊です
幼児の言葉の発達について教える仕事をしているので、お母さん方に「子どもにはどんな本を読ませたらいいですか?」と質問されることが結構あります。研究者としての回答は「今その子が読みたいと思うものを読むのが一番いい」。これがいいよと薦めるより、なにが好き?と、その子に聞きたくなるのです。もしくは、どんなことが好き?と。場合によっては、今は本を読む時ではないね、と答えることもあるでしょうね。本を読むより外で友達と野球をしている方が楽しい時期もありますから。ただ、人生のどこかで密に本と親しむ時期があって欲しい。
小学生の頃は野球やフットボール三昧で読書とはほぼ無縁の日々でした。ただ、繰り返し読んでいたのは『コンチキ号漂流記』。読書感想文の宿題は毎回コンチキ号で書いていました。忘れられない一節があるんです。正確ではありませんが、大型船でスクリューの音を立てながら海を走っていけば海には何もいなかったということになるだろう。ただ、いかだを浮かべてのんびりプカプカ浮いていると、いろんな生き物が顔を出してくる、といった内容です。あぁ、自分はいかだでプカプカのほうが好きだなぁと強く思った記憶があります。いかだの視点に共感したということでしょうね。
読書三昧になるのは高校生になってから。特に『少年期の心』(山中康裕=著 中公新書 中央公論新社)には影響を受けました。これはいくつかのカウンセリング場面の事例を一般向けの読みものにした興味深い内容で、例えば、学校恐怖症の女の子の治療の過程は赤ずきんちゃんの物語仕立てになっています。大学では心理学を学ぼうと決めたきっかけのひとつですね。
コンチキ号漂流記
著/トール・ハイエルダール 訳/神宮 輝夫 出版社/偕成社
幼いころは絵本が好きでよく読んでいました。大人になっても読み返すのは『てぶくろ』(ウクライナ民話 エウゲーニー・M・ラチョフ=絵 内田莉莎子=訳 福音館書店)です。大学の図書館には絵本や紙芝居がたくさんあって、学生たちは授業で、読み聞かせが発達に影響する仕組みを学んでいます。読み聞かせが幼児の言葉の獲得に良い影響があることは、いくつかの先行研究で示されていますから。
子どもたちに対しても、子どもたちを育てる職業に就くかもしれない学生たちに対しても、読書の楽しみや効果を示していく事は必要だと強く思っています。