研究紹介ファイル
No.25 藤井 康子氏
自尊感情こそが、学びに向かう意欲の源であり原点
生徒がふるさとに誇りを持てる実践をめざしました
美術教育がご専門の藤井さん。助成研究では、中学校美術科と国語科・理科などを連携させ、「地域の色」をテーマとした教科融合型学習* 1 を開発した。日本ではまだSTEAM(Science Technology Engineering Arts Mathematics)教育という概念が広く知られていなかった頃に提示した、天然色材を教科連携の結び目にする発想は、その後の藤井さんの研究手法のひとつになっているようだ。 背景にはどのような問題意識があったのだろう。
「助成研究以前から、大分大学・大分県立美術館・大分県津久見市教育委員会・研究実践校が連携し『津久見プロジェクト』を組織して教科融合型学習モデルの開発に取り組んでいました。幼稚園・小学校での実践をベースに、中学校に発展させたものが助成研究になります。」
藤井さんによれば、当時は、従来の知識伝達型でなく、各教科での学びの関連づけや統合する方法を見出す力を育成する学習展開が学校現場に求められていたという。
また、学びに向かう力や人間性の涵養といった資質を育むことも教育現場の大きな課題だったそうだ。
一方、研究実践校である大分県津久見市立A中学校の生徒には、ふたつの改善すべき課題があったという。
「ひとつめは語彙力についてです。自分の思いや考えを言葉でうまく表現できないことへの苛立ちや諦めの感情から、授業に集中できない生徒が少なくありませんでした。ふたつめは自尊感情や自己肯定感についてです。全国的に実施されている生徒対象のアンケート結果を見ると、自分が好きだとか、自分の可能性に希望を持てるという項目の数値が高くないことが目につきました。特に気になったのが" 田舎で何もない"と口にする生徒が多かったことです。自分の生まれ育った土地に誇りを持ち、ふるさとの魅力を語れる大人になって欲しい、この点は学習プログラムを開発する上で大事にしたところです。」
まず藤井さんは、美術科が語彙力向上に資することができるのではないか、との考えから、美術科と親和性の高い国語科との融合を開発プログラムの中心にすえた。
「美術科には実技とともに、鑑賞の学習があります。美的体験から始まる学びを通して、美術教育が国語科の『書く力』の根幹である語彙力の向上にどのような影響を与えるか、実践を通して学習プロセスを見ていこうと考えました。」
*1 教科融合型学習:藤井さんが助成研究でこだわった独自の学習概念。藤井さんが考える「融合」とは、各教科の要素の粒がきちんと残ったままひとつに溶け合っているイメージ。STEAM教育も融合型学習だと考えているそうだ。
津久見の自然に着目
見つけた色に名前をつける体験的学習を実践
さらに藤井さんが着目したのが、津久見の自然環境だったという。
大分県南部に位置する津久見市は津久見湾の湾口部を囲うようにリアス海岸が見られる。津久見湾には宇宙塵が発見されたことで注目を集める網代島があり、干潮時には網代島の色とりどりな堆積岩(チャート)の層が見られるそうだ。また津久見は江戸時代から日本屈指の石灰岩の産地であり、地元には絵画技法のひとつであるフレスコ画*2の歴史もあった。
「色をテーマにすることは『津久見プロジェクト』のディスカッションの中で出てきたアイデアです。小学校では児童に『ふるさとの色』を考えさせる実践を行いました。その時はタブレット上で作った色でしたが、色の素になる顔料には植物や岩石, 貝や骨といった天然のものが多いことをヒントに、網代島の岩石から顔料を作って色に名前をつける、というプログラムを考案しました。A中学校にリアス海岸を見学する校外学習があり、理科には大地の成り立ちという単元があると知り、" 色"でつなげれば面白い探究的学習になるだろうという手ごたえがありました。」
津久見市立A中学校の2 年生91 名を対象に約10か月かけて実践したプログラムが【表1】である。
【表1】開発プログラムの内容
「津久見プロジェクト」の連携機関からの支援もあり、非常に充実した内容になっているが、開発プログラムのねらいや効果について、藤井さんにいくつかのポイントを解説してもらった。
「導入部の『学びほぐし』は、生徒の固定概念や思い込みを崩し、正解はないのだと実感的に理解してもらうのがねらいです。絵を見て言葉で伝える人、絵を観察して客観的に記録する人、説明された言葉だけで絵を想像する人に役割を分担します。同じ絵を見ても、同じ説明を聞いても、それぞれ感じ方やとらえ方が違うことを面白がったり、想像していた絵と実物の絵のズレを肯定的に受け止める生徒が多いという結果が出ました。」
自分自身の感覚や思考を働かせて独自の見方ができるようになるためのウォーミングアップ的な学習と言えそうだ。
「自分の考えや感じたことを表現する力を育む方法はいろいろあると思いますが、伝えたい事柄ができるからこそ伝えられるのではないかと思います。そこを子どもたちに持たせるのが結構難しい。それまで存在すら知らなかった網代島に足を運び、これだと思う岩石を持ち帰って乳鉢ですりつぶし顔料にして色名を考える。この一連の体験を通して得た知識は成長とともに変容しながらも蓄積されていき、生きていくために必要な知識として習得されていくのではないかと思うのです。網代島巡見から『津久見色辞典』を作るまでの活動が、開発プログラムの要だと思っています。」
生徒たちの内側に、自分が見つけたこの色を伝えたいという主体的な動機を芽生えさせた体験学習と言えるだろう。
また、子どもたちに鑑賞させる作品が全て実物であることも、藤井さんがこだわった点で、「網代島や岩石も同じですが、実物でないと大きさや質感がわからないのです。」と言う。
移動美術館では作品の持つ雰囲気や気配といったものも感じとりながら思考力と想像力を働かせ、来館者と対話しながら学芸員をつとめる生徒たちの生き生きとした姿が見られたそうで、「研究成果としてビデオにまとめましたが、大人顔負けの表現力に驚きました。地域住民の方々や幼児、児童、高校生など、年齢に応じて説明表現を変える柔軟な対応もできていました。サイエンスレクチャーでの学びや顔料づくりの体験を交えながら説明している生徒を見かけたときは、嬉しかったですね。」
移動美術館の前後での生徒の自己評価(SABCの4段階)は国語科・美術科ともにB評価が半減しS評価が倍増した。また、郷土作家の作品の鑑賞文を書いた後、美術科で生徒たちに「授業を通して津久見の良さがわかったか」を自己評価させたところ、全クラスの70%以上がS、20%以上がAであった。これらの結果は開発プログラムが生徒の自己肯定感を高めることにつながったことを示唆している。【図1】
*2 フレスコ画:壁に直接絵を描く絵画技法。壁に塗った漆喰が乾かないうちに石灰水で溶いた顔料で描く。石灰岩に含まれる炭酸カルシウムの性質を使って顔料を定着させる。
【図1】「移動美術館」実施前(青)と後(緑)の生徒の自己評価
それでは、「アートと言葉」の学習体験を積み重ねていく生徒たちの語彙力はどう変化していったのだろう。
「計量テキスト分析を行って、鑑賞文や言葉新聞などの語彙数から語彙力を測ろうと考えていたのですが、実践をすすめていくうちに、量だけでは測れないことに気づいたのです。現場の先生方のあの手この手の指導スキルで語彙量は増やせるんですよね、さすがだなと。では、自分の実感のこもった言葉、言葉の質が大事だとなった時に、どう測ればいいのか悩みました。色名をつける活動など、言葉そのものを生み出す力をどう評価すべきか、継続助成研究での課題になりました。」
自己肯定感が高まり学習意欲が高まった
継続助成では、『開発プログラム』をベースに学習内容を改善し、新しく英語科を融合させた教科融合型学習プログラムⅡを開発した。評価方法(教科融合型ルーブリック*3)の開発と生徒にもたらす変化や効果について明らかにすることを目的にした。
助成研究の実践校と同じ中学校の90 名を対象に、1年生の2学期から3年生の3学期までの1年半をかけて『開発プログラムⅡ』を実践。美術科×国語科×英語科の融合型学習において、美術科では絵画作品を制作し、国語科では津久見の美を伝える作文を、英語科では津久見の紹介文を書き、より国際的な学びを展開させた。修学旅行で訪れた京都では、外国人を相手に英語で津久見を紹介する活動も実施したそうだ。さらに、ふるさと津久見の魅力を国内外へ発信することを目的にした『津久見" 美" 事典』と『津久見"美"事典~作文・作品集』を作成した。
そして藤井さんは、3年超にわたる助成研究の結果と考察を次のようにまとめた。
1: 生徒の自己肯定感の高まり(自己評価ルーブリック結果にみる評価の高さ)
- 各プログラム学習の後に実施した生徒の自己評価はS 評価も見られるなど非常に高い傾向がみられた。
- ワークシートや振り返りシートの自由記述欄には「津久見は意外にすごいところ」「網代島で2 億4000年前にすごいことが起こっていたんだなぁ」など、生徒がふるさとの魅力を新たな視点から発見し、その土地への想いや愛着がさらに深まったことがわかる記述がみられた。
2: 生徒の各教科に対する「学びに向かう力」の高まり(肯定的な意見や考え)
- 自己評価が比較的高い又は高い生徒の記述の中には、「美術と理科がつながったということをはじめて知りました」「色の見え方を(粒子の世界や身近な物理現象など)『理科の視点』というものから考えました」など、教科融合型学習に対する肯定的な感想がみられた。様々な学習体験が生徒の自己効力感を高め、生徒の中で様々な「見方・考え方」がつながり、各教科への興味・関心が高まったことが、学習意欲にプラスの影響を与えた。授業に対する規律、努力、新たなことに挑戦する姿や集中して学習に取り組む姿がみられるようになった。
- 2019年度の学習アンケート調査の結果、「学校が楽しい」と答えた生徒は96%(2016年は73%)、「授業がわかりやすい」は93%(2016 年は76%)、開発プログラムで積極的に取り入れたペアワークやグループワークの「学びあい」に対しては100%(2017年は87%)の生徒が肯定的にとらえていた。「学びに向かう力」に変化がみられた。
「生徒たちの反応は予想以上に良かったですね。それぞれの活動自体は面白がってくれるだろうと思っていましたが、各教科に落とし込んでいくときには抵抗があるかもしれないと危惧していました。しかし生徒の中ではどの教科も自然につながっていて、授業後に感動したとか楽しかったと語ってくれるのに驚き、意外なほどでした。」
実物と触れ合うリアルな体験をきっかけに、学ぶ楽しさを実感した生徒たちの学習意欲が高まり、ひいては学校生活の満足度や自尊感情の高まりに良い影響を与えたといえそうだ。
「ですが、開発プログラムの効果は次の研究テーマになってしまいました。というのも、効果を測る教科融合型ルーブリックが完成せず、いまでも課題として残っているのです。」
*3 ルーブリック:評価項目と評価基準の2軸から成る学習の達成度を測るための評価方法。ペーパーテストだけでは評価しづらく、数値化できない観点を評価する際に用いる。
中学生期における「アートと言葉」をテーマとした教科融合型学習『開発プログラム』(左)、『開発プログラムⅡ』(右)
教科融合型学習は教師を成長させる効果もある
教科融合型ルーブリックの開発が困難だった理由を、藤井さんは次のように話す。
「そもそも融合型学習というものが今の日本の学校教育制度に入っていないが故の難しさだと実感的に気づきました。たとえば網代島の堆積岩のスケッチは理科の観察スケッチなのか美術なのか、しかし教科で切り分けた評価では融合型学習は評価できないのではないか ―。各教科の評価基準との整合性をはかりながら何度も試みましたが、完成にはいたりませんでした。」
しかし、その実感と試行錯誤の経験が、藤井さんにとっては大きな研究成果であり今につながっているそうだ。
「STEAM教育もそうだと思うのですが、各教科の特性を理解していないと、総合的な学習の時間や特別活動で扱う内容との違いは何か、教育課程に取り入れる必要があるのか、など敬遠される要因になってしまうと思います。特に中学校では教科として成立していることが必須です。そこをクリアしながら実践をすすめる経験ができたおかげで、各教科が大事にしている教科内容を深く理解できたことは大きな成果です。」
また、効果という意味では、教科融合型学習は教師にとっても刺激的な学びになるのでは、と藤井さんは言う。
「プログラムに参加してくれた教科の先生方だけでなく、学校全体で先生方の意識に変化がみられるようになってきました。」
研究実践校では全教職員に対して、教員同士による授業分析と協働的な学びあい学習の導入を推進したり、教科部会や研修による授業内容の振り返りを行い、授業改善に取り組んだという。
「研修に参加される先生方が相乗効果的に意欲的になっていくのを間近で見させていただきました。これからはSTEAM教育専門のコーディネーター的役割を担う教師の存在や、カリキュラムマネジメントも含め融合型学習を教育課程の中で推し進めていく知識やスキルが求められるようになるのではないかと思います。」
藤井さんは現在も継続して、公立小学校で実験的授業を実践しながら、教科融合型学習のプログラムを開発しているという。さらに、「助成研究では、津久見にある資源を活用することにこだわった実践を行いましたが、特徴的な地域資源がなくても可能なプログラムにするため、色から発想を拡げて光に注目しています。貝殻でランプシェードを作る活動を通して、『なぜ貝殻は光を一部透過するのだろう』という謎から学びへとつなげていく展開のプログラムです。今後も研究のパートナーになってくださる先生を探しながら、その先生が得意だったり好きな分野を活かせる融合型学習を協働で開発していきたいと思っています。いま一緒にやっている先生は美術がいちばん苦手な先生なんです。算数と音楽は得意だとおっしゃるので、じゃあ図工は私が受け持ちますので、算数と音楽の要素を入れられませんか、というふうにマニュアルのない授業づくりに協働で取り組んでいます。実際に授業を担当する現場の先生が楽しい、面白いと感じ生き生きとなれる教育実践を続けていきたいと思っています。」
津久見色辞典
津久見"美"事典~作文・作品集~
津久見"美"辞典
「融合型学習を通して、子どもたちの語彙が豊かになり、言葉の質が高まっていることを実証できるデータを積み重ねていきたいです。」