研究紹介ファイル
No.17 臼井 昭子氏
デジタルテクノロジーで美術科の鑑賞授業を改善
教員時代の実感が研究のきっかけです
中学校と高等学校で美術科の教鞭をとった経歴を持つ臼井さん。
「社会人生活を経て大学院に入りました。社会人時代は放送・通信の分野が専門でしたが、博士課程のときに念願かなって教育現場に身を置き改めてデジタルテクノロジーをもっと美術科の授業改善に活かせないかと強く感じました。具体的には、教材として提示される美術作品と子どもたちの接点にアプローチできるICT(Information and Communication Technology)教具を開発できないかと考えたのです」。
臼井さんによれば、美術科の学習内容は「表現」と「鑑賞」に大別され、平成になってから鑑賞学習が重視されはじめたそうだ。学習指導要領には「鑑賞に充てる授業時数を十分確保するようにする」と明示され、言葉で考えさせ整理すること」や「言葉を使って他者と意見を交流することにより、自分一人では気づかなかった価値などに気づく」など、言語活動を充実させることが求められているという。
また先行調査「日本美術教育学会(2004、 2015)中学校美術科における鑑賞学習指導についての全国調査」の結果によれば、鑑賞の学習指導の取り組みに積極的な傾向を示す中学校教員は増えており、その9割以上が鑑賞学習指導を充実させるには「学校における(作品の)提示機器や施設の充実」が必要だと感じている、という。
一方、2015年の同じ調査では「作品を提示する方法として使うものは?」への約9割の回答が「黒板」だったそうだ。【参照1】最初に臼井さんが語った「美術作品と子どもたちの接点」とは言い換えれば、作品と子どもたちの出会いだ。初めて目にすることも多いだろう美術作品とどんなふうに対面するかは、子どもたちの感じ方やとらえ方に大きく影響するのではないか。
「これらが助成研究のベースとなる背景です。子どもたちの言語活動を活性化させる効果を意識して、ICT教具の開発とその評価に取り組みました」。
【参照1】黒板に貼られた作品のコピーを鑑賞する生徒たち
現場の教員が求めているのは 実物大で多方向から鑑賞できる機能
臼井さんは、助成研究以前から取り組んでいた教具も含め3つのICT教具を開発し【参照2】、それらが美術科教員の求める機能を満たしているか、子どもたちの言語活動の充実を促進しているか、の2点から検証した。そして最終的に、子どもたちの鑑賞能力を養う美術鑑賞授業モデルを提示した。
まず、鑑賞学習と教具の、実態や課題を明らかにすることを目的に、全国的な質問紙調査(以下、全国質問紙調査)を行なった。調査の対象は中学校の美術科教員。依頼した2000校から457件の回答が得られた。その結果、教員が教具に求めている機能は、「実物の大きさを提示する」「立体作品を多方向から見られる」「設置・準備がしやすい」「自作がしやすい」、の4点であることがわかった。
「実物大」と「多方向」を実現できる手法としてバーチャルリアリティ(Virtual Reality以下VR)を活用してみようと考えた臼井さんは、ヘッドマウントディスプレイ(Head Mounted Display 以下HMD)を使った「VR-School Museum(以下VR-SM)」を開発した。
「全国質問紙調査で、授業として美術館へ出かける頻度をたずねたところ、『0回』または『ほぼ0回(数年から数十年に1回)』と回答した教員が8割を超えました。教育現場の実態を考慮すると、教室内で作品を提示する教具の充実が有効だ、と示されたと思います」。
実際にVR-SMを高校生に試用させて質問紙調査を実施したところ、VR-SMを使ったほうが従来の教材や教具【参照3】を使ったときより作品を実物大かつ多方向から鑑賞できたと感じた生徒が多かったという結果が得られた。が、VR-SMは教員が「設置・準備がしやすい」「自作がしやすい」という点で課題が残った。
「全国質問紙調査の結果から、美術科教員はICT操作を苦手としている傾向がみられました。提示方法がどんなに優れていても使い方が難しければ現場で使ってもらえません」と、臼井さん。さらに「教科書の拡大コピーをラミネート加工するなど、授業で使う提示メディア(図版)を自作している教員も多く、作品の見せ方に時間と労力をかけている現状も調査から読みとれました」。
そこで臼井さんは、ICT操作が苦手な美術科教員でも扱いやすく、自作できるICT教具としてスマートフォンを使った「モバイルVR-SM」を開発した。
モバイルVR-SMは、市販の全天球カメラ(360度の画像、映像が撮れる)を用いて撮影した屋外彫刻・オブジェ(以下パブリックアート)の映像をスマートフォンで再生するものだ。作品の前後左右上下を見たり、拡大したり、実際その場に立って作品を見ているような体感が得られる。さらに簡易的なHMD(VRゴーグル、VRグラス)をスマートフォンと組み合わせ、立体的に見えるよう工夫をした。
実際に高校生に使ってもらったところ「実物大」や「多方向」を実感できた生徒が多く、「見たいところを見られる」「その場にいるような感じがした」「リアリティがある」など好評だった。美術科教員にも実験的に使ってもらい質問紙調査を行なったところ「生徒が実物大を感じとること」や「生徒が多方向から鑑賞すること」が期待できる、「設置や準備が簡単にできそうだ」「鑑賞学習に役立つ」「授業で使ってみたい」「自作できそう」「見せる作品の選択肢が増えそう」「生徒にとって(スマートフォンが)身近な機器であることが良い」といった高評価が多かった。
モバイルVR-SMは「市販品の組み合わせ」であることが臼井さんのこだわりだ。「最初は自分で開発したものを量産できないか、と考えていました。が、多くの学校でたくさんの子どもたちに良い鑑賞の授業を受けてもらうためには、ハードルは低くなければなりません。簡便性、使いやすさ、説明のしやすさ、入手しやすさにはこだわるべきというのは私の研究生活の中で見えてきた答えです。非常にいい答えだと思っています」。
さらに、VR-SMからモバイルVR-SMへの展開は簡便性の課題だけでなく、作品の3Dデータが入手しづらい現状も課題だったようだ。
「2Dデータはネット上で比較的多く入手できますが、3Dデータは入手しづらいのです。そこで目をつけたのがパブリックアートでした。実際の作品の周囲をぐるっと回って撮影するためカメラの視点にはなりますが、街中や周囲の景観に溶け込んだ作品の臨場感を得ることができます。将来的には、全国の美術科教員が全天球カメラを使って撮影してくれた作品のデータをアップし共有できるプラットフォームを作りたいと思っています」。
D-FLIP Paintings:平面作品に特化したインタラクティブな教具
VR-SM:立体作品を自分の意思で回転させたり、近づいて見たりすることができる教具
モバイルVR-SM:設置や準備がしやすく、教員がコンテンツを自作できる教具
【参照2】臼井さんが開発した3つのICT教具
【参照3】従来の教材や教具
全天球カメラとモバイルVR-SM
インタラクティブな機能は発話や意見の交流を促す
次に臼井さんは、開発したICT教具類が子どもたちの言語活動の充実を促しているかどうかについて分析し検証した。全国質問紙調査では、
◆美術科教員は言語活動の充実に積極的な傾向がある。
◆鑑賞用教具が、言語活動の充実や意見の交流に影響を及ぼすと回答した教員が8割を超えている。
など、先行調査と同様の結果が得られており、教具改善が言語活動の充実を促進するよう工夫されることは、より良い鑑賞授業を実践しようとしている教員の支援につながる可能性が示されている。また、
◆授業で行われている言語活動には、ワークシートや感想文などを書かせる活動、意見や感想を発表させる活動、対話による鑑賞学習(作品を前に意見の交流を図る)などがある。
ことも明らかになった。
すでに鑑賞用デジタル教材「D-FLIP Paint-ings(以下DF)」と一方向型の「Existing Media(以下EM)」を開発、比較してDFのインタラクティブな機能が鑑賞授業中の子どもたちの発話量を多くすることを明らかにしていた臼井さん。助成研究では全国質問紙調査で明らかになった結果をふまえ、学習指導要領で求められている言語活動のうち「意見の交流が図られ新しい気づきをもたらしているか」について分析した。
具体的にはテキストマイニング(大量のテキストデータから有益な情報を取り出すこと)の手法を用いて共起ネットワーク図【図1】を作図し、鑑賞の授業で繰り広げられた生徒たちの発話の特徴を可視化した。分析に使ったテキストデータは、試験的に実施した高校生6人によるグループ鑑賞時の発話を録画・録音し文字に書き起こしたものだ。円の大きさは語の出現回数に比例し、円と円を結ぶ線はリンクと呼ばれる。円と円の距離に意味はない。頻出語数とリンク数が多く、語が相互に稠密に結ばれた部分がたくさん見られる図のほうが意見の交流が活発に行われていることを表すそうだ。
【図1】を見れば明らかなように、DFを使ったときの共起ネットワーク図は、円もリンクも数が多く、互いが稠密に結びついているさまがよくわかる。また、授業を受けた生徒に質問紙調査を行なったところ、「対話を通して新しい価値に気づいた」のは6名全員がDFのほうだと答え、その理由は「比較し話し合うことで新たな発見をした」「グルーピングで話がはずんだ」などだった。以上のことからDFを使った授業は生徒どうしの活発な意見の交流を促し、新しい気づきをもたらしている可能性が示唆された。
「DFは今春、日本文教出版から『デジタルアートカード』という名前で市販されました。子どもたちがいろんな使い方を発見してくれるのではないかと期待しています。これを使って先生たちがどんな授業をし、子どもたちにはどういう変化が見られるのか。今後どなたかが研究をする際には私に声をかけてくださいとお願いしているので、実践例が蓄積されればと思っています」。
D-FLIP Paintingsは『デジタルアートカード』として日本文教出版から市販されている
【図1】臼井さんが作成した共起ネットワーク図(抜粋)
モバイルVR-SMに未来を感じた子どもたち
DFのインタラクティブな機能が子どもたちの「発話」や「意見の交流」を活性化して新しい気づきをもたらすことはわかったが、DFは美術科教員が求めている「実物大」「多方向」の機能は持ち合わせていない。そこで臼井さんは、インタラクティブでかつ「実物大」「多方向」の機能を持っているモバイルVR-SMが言語活動の「書く力」にどう影響するかを実際の鑑賞授業を行なって検証した。
授業を実践したのは協力中学校の第1学年4クラス(A~Dクラス)。題材にはパブリックアート(『幻の華』 草間彌生 1993年 松本市美術館)を選んだ。AとBクラス(以下AB群)には紙に印刷した作品を、CとDクラス(以下CD 群)にはモバイルVR-SMを配布した。生徒は3~4名の班に分かれて鑑賞と話し合いを行い、気づきや感じたことを各班でまとめ、それぞれが発表を行なった。すべての班の発表を聞いたのち、生徒たちが自分の考えをまとめたワークシートの記述内容を対象として、AB群とCD群の記述する語に違いがみられるのかについて分析した。
その結果、生徒ひとりあたりの平均文字数などには差がみられなかったが、出現回数の差が大きい語【表1】や各群のみに出現した語【表2】に違いがみられた。
AB群では「意見」「個性」「思い」「テーマ」「自由」「情熱」「発想」など作者の意図に関すると思われる記述が多くみられ、「草間さんの水玉に対する情熱がわかった」などの記述があった。一方、CD群では「この鑑賞を通して、作品の大きさや特徴は非常にわかった。でもそれ以上にその場の雰囲気を感じることができ、草間さんの作品は作品の外まで思いがこもっていると思った」という記述のように、「場所」「建物」「世界」「身近」「自然」「松本」など、作品が設置された場を想起させる語がみられ、また「広がる」「気付く」「発見」など何らかの気づきがあったと思われる語も出現していた。以上のことから臼井さんはCD群の生徒は作品が設置された場所にいるような没入感のある状態で、各自が様々な気づきを得ながら鑑賞していることが読み取れる、と結論づけた。
さらに授業を実践した教員にも質問紙で授業を振り返ってもらったところ、ねらいに沿った授業になったのはモバイルVR-SMを使用したほうで、「授業目標であった、作品の『形や色、動き』や『(作者の)思い』、『公共芸術』等を感じ取り、新しいイメージを想像したりしながら味わうということをひとりひとりが達成できた」「作品から受けとる多くの気づきを手助けする道具であり、生徒はこの授業で効果的に『モバイルVR-SM』を活用し、授業に取り組むことができた」など高評価が得られ、「生徒は『VR装置』という道具に対して『未来』を感じているようだった」という感想もあった。
これらの研究結果をふまえ、臼井さんは【図2】のような美術鑑賞授業モデルを提示し、助成研究の今日的な意義を、美術科教育の鑑賞の学習においてICT活用の有用性を検討し、主体的で対話的で深い学びを実現するための授業改善の方法のひとつを示した点にある、と締めくくった。
「モバイルVR-SMは『書く力』を検証する実践授業に協力してくださった中学校の先生に、授業で使ってみてくださいと貸出しをしています。改めて現場の先生がどういう授業デザインをされるか、その結果子どもたちにどういう結果が出たか、それを追わせていただく種まきができたかなと思っています」。
【表1】出現回数の群の差が大きい語と回数
【表2】各群のみに出現した語と回数
【図2】美術鑑賞授業モデル
キーワードは「STEAM」教育今後も美術科教育にかかわっていきたい
3年間にわたる助成研究の取り組みは多岐にわたるが、臼井さんがかなり頭を悩ませたのが鑑賞授業の評価についてだったようだ。先行調査に限らず、臼井さんが実施した全国質問紙調査でも、
◆鑑賞学習において行なっている言語活動は、ワークシートや感想文、発表、対話による鑑賞学習(作品を前に意見の交流をはかる)の順でいずれも7~8割程度の高い数字だった。
◆評価に用いる学習活動は、ワークシートや感想文等の記述内容85%、個人発表時の発言内容80%、対話時の態度71%、対話時の発言内容73%だった。
というふうに、鑑賞の授業における言語活動は、学習課題を達成するための手段であると同時に、評価を行う上での資料のひとつであることが明らかになっている。
「鑑賞の授業は、まさに子どもたちの言語活動によって展開し、発話や記述など言語活動でまとめられ、その成果を資料として評価されている、ということが示唆されたと思います。たくさんしゃべる子が注目されたり、国語の文章力がある子の成績が良くなるといったことは避けなければならないと美術科教員は皆わかっています。しかしながら点数をつける際にはその言語活動を資料に評価します。正確で公平な分析をするためには、たとえば授業を録音して音声を文字に起こしテキスト化するなど多大な労力がかかることもわかりました」。
が、その評価にもICTが貢献できる時代が来るかもしれない、と臼井さんは言う。
「今後デジタル技術が発達し、授業をまるごと自動で録画録音し、出席番号1番の子の発話はこれ、とすぐにテキストデータになってくれる日が来るかもしれません。授業中の言語活動を可視化するシステムができれば分析や評価がしやすくなります。そのデータを子どもたちにもフィードバックすれば『僕はこんな発言をしてたんだ』とか『今度は、こんなことを話してみよう』など新しい気づきや学びが生まれるかもしれませんし、公平な評価につながりますよね」。
あながち夢物語とは言えないのではないだろうか。
現在、臼井さんは山形大学の工学部のチームに所属し、「柔らかいロボット」を開発するプロジェクトに参加しているそうだ。「90%が水分の柔らかいゲルを材料にし3Dプリンターで形を作れる技術があるのです。この技術を美術科教育に活かして、子どもたちと一緒に新しい造形教育に取り組んでいけないかな、と考えています」。
さらに、
「スティーム教育というキーワードもテーマのひとつになっています。STEAM はScience、Technology、Engineering、Art、 Mathematicsの頭文字。以前はSTEMでしたが、これにArtが加わったのです。そこで、たとえば3Dゲルプリンターを使って子どもたちが造形活動をする活動は、 STEAM教育の中で実践することも考えられます。小学校の図画工作科ではプログラミング教育の点でも効果が期待できそうです。今後も美術科教育にかかわる試みを続けていきたいと思います」。
共同研究者の佐藤克美准教授(東北大学 大学院教育学研究科)とともに