活動内容
「今だから、飯舘中学校だからこそできること」をスローガンに、ふるさとへの誇りを育む実践
東日本大震災後の原発事故による全村避難が続いていることで、生徒たちはもちろん、村民全員が「地域」を身近に置くことができない特殊な環境で生活をしている。本校は、村でただ一つの中学校として、村民に元気と笑顔を届け、村へと心をつなぐために、震災後すぐに「ふるさと学習」を開始、総合的な学習の時間にふるさと学習を位置づけ、特色ある教育を展開してきた。
震災の翌年には「仮設住宅訪問」を始めた。当時約1,000人もの村民が住んでいた仮設住宅は高齢者の割合が多く、一人暮らしのお年寄りも少なくない。各戸の清掃奉仕活動や炊き出しなどを行い、住民との交流を深めた。
翌々年からは村の伝統芸能などを取り入れた。「田植え踊り」では、踊りの意義や由来を聞き、村の保存会の方から踊り方を習った。「民話紙芝居制作」では、村のお年寄りから村に伝わる民話を聞き、それを紙芝居におこした。プロの絵本作家の指導を受け、時代考証をしながら絵を描き、太鼓や拍子木を使って効果的に演出する本格的なものとなった。「郷土料理づくり」では村のお年寄りやフードデザイナーの指導のもと、大豆から味噌の仕込みを行い、郷土料理を学ぶとともに、新しいレシピ作りにも取り組んだ。
昨年度は「挑戦」をテーマに新しい活動を取り入れ、より多くの人に飯舘村を知ってもらうための「発信」にも力を入れた。さらに今年度はこれまでの学習の積み重ねを生かし、村の現状に目を向け、「飯舘村の復興について考えよう〜今の自分たちにできることは」というテーマを設け動き出している。
震災直後から交流を続けている岐阜県各務原市の中学校とのパネルディスカッションの際、「放射線量が下がったら村に戻るのか」という問いに答えて、「生活の不便さや進路の問題から村には帰らない」という意見が多い中、「若い僕らが帰らなければ、誰が村を守るのか」「村に戻り、田植え踊りを伝えていきたい」と真剣に語る生徒の姿があった。震災後の5年は、決して苦難だけを与えたのではなく、自分や地域の未来を想い考え、学ぶことができた時間であったと確信した瞬間であった。
【写真】
震災の翌年から始めた「仮設住宅訪問」
審査委員より
東日本大震災後の原発事故で全村避難が続いている飯舘村。村でただ一つの中学校である飯舘中学校では、村民に元気と笑顔を届け、それぞれの心をつなぐ総合的な学習の時間として「ふるさと学習」に取り組んだ。「今だから、飯舘中学校だからこそできること」をスローガンとした教育活動では、ふるさとに誇りを持ち、未来を切り拓く子どもが着実に育ち始めている。
プロフィール
福島県 飯舘村立飯舘中学校(いいたてそんりついいたてちゅうがっこう)
【代表者】
和田 節子 (わだ せつこ)
【役 職】
校長
【創立】
1988年4月1日
【学校(団体)規模・活動参加人数】
○児童・生徒数 : 87名 ○クラス数 : 5 ○指導者数 : 19名