研究紹介ファイル
No.1 原 惠子氏
早期発見、早期介入が何より重要な支援 幼児向けの検査開発にも挑んでいきたい
「今でこそ小学校1年生くらいのお子さんにお会いする事が多くなりましたが、私が臨床を始めた20年くらい前ですかね、小学校4年生とか5年生になってからお会いしても何をどう指導しよう、と申し訳ない気持ちでいっぱいでした」。
原さんは発達性ディスレクシア(以下、ディスレクシア)児の早期発見のため、デコーディングと音韻意識に焦点を当てたスクリーニング検査開発を試みた。デコーディングと音韻意識の検査は通常、音声を聞かせて行われる。が、その方法では一人ひとりを個別に呼んで検査しなければならず、学校現場で行うのは現実的ではない。そこで原さんは小学校低学年の通常学級で、担任教師がクラス全員を対象として一斉かつ短時間に行うことができる簡便な検査の開発に取り組んだ。一斉、簡便、という点が既存にはない原さん独自の視点だ。
実は原さんは2010年から共同研究者たちと、音を聞かせて行うELC(Easy Literacy Check)検査の開発に取り組んできた。担任が10分ほどで行える簡便なものだが、個別に実施する必要があったため、小学校で活かすことが難しかった。その反省点が今回の紙ベースの検査の考案へつながったようだ。スクリーニング検査の妥当性の検証も丹念に行われた。まずは調査人数が非常に多い。関東圏内の小学校6校に協力を得て、通常学級在籍児童1~6年生の合計2,435名を対象に調査を行った。ひとことで約2,500名と言うのは簡単だが、膨大な数の調査データを分析する労力は並大抵のことではない。
「臨床上データが必要だとずっと感じていました。目の前のこの人達に何を基準に、未熟なだけですと言えるんだろう、という思いをずっと抱えてきましたから」。
さらに許可を得られた協力校児童には、既存の『全国標準リーディングテスト』を使った調査をしたり、個別に音声を聞かせて行う単語音読課題や文章音読課題、音韻操作課題も行った。加えて、ご自身が言語聴覚士として臨床に携わっている医療機関を訪れた11名の児童(読み書きの困難さを主訴として来院、8名がディスレクシアと診断)にも同じ調査を行い、スクリーニング検査としての有効性と信頼性を丁寧に検証した。
読む力の根幹 音韻情報処理能力を診る
3種類の検査は「単語並べ替え課題」「単語探し課題」「つづり正誤判断課題」。読み困難の中核的問題であると言われている"デコーディング&音韻意識"をどう診ることが出来るのか、原さんに解説していただいた。
単語並べ替え課題
「はさみ」は「ハ/サ/ミ」の3つのオトの粒で構成されていて、この順番にオトが並んでいると意識できないと「はみさ」を正しく並べ替えるのに時間がかかってしまう。「オトを自由に操作できる力を診ることにつながると思います」。オトの粒が分かれていること、位置がわかること、一つ一つのオトがしっかりわかること」が音韻意識の基本だと原さんは言う。また、「はさみ」という単語の意味を知らなければ語順が違う事にも気づけないので、答えるには語彙力も必要だ。
単語探し課題
単語をまとまりで認識して読む力がついているかを見ることができる。この課題を説明する際に原さんがよく利用する例が「庭には二羽鶏がいる」と「ここで履物を脱いで下さい」だ。漢字混じりで表記してあれば誤読は防げるが全て平仮名で書かれてあったらどうだろう? 「子どもたちが平仮名を読んでいく時には、どこで切れるの?どれが知ってる単語のまとまりなの?っていうことを意識しながら読んでいくんですね」オトがどこで区切れるか、どれがまとまりか、を意識する力は非常に重要だという。
「言語ってもともと音声言語なのでオトが基本ですが、オトは目に見えないから見える形にした。それが文字です。目に見える形にするために何を考えたかというと、私が今こうして話している音声は連続して伝わっている音波な訳ですが、その波をパズルのように区切り、切り分けたパズルに形を当てはめていくっていうことを考えたわけです。その区切り方が言語によって異なる、言葉のオトにどういう粒を見出していくかが言語によってどうも違う、粒の大きさが違うんですよねぇ」
日本人なら「にほん」は「ニ/ホ/ン」で区切れる3粒と答えるだろうが、英語圏だと「ニ/ホン」の2粒と答える人も多いだろうと原さんは言う。また、「3歳の子に聞いたらリンゴは1粒っていうと思います。リンゴは意味のある一つの言葉だから、その中が区切れて粒があるなんてことは考えられない。でも次の段階には、リン/ゴでしょ?2つでしょ?って言う時もあるかもしれない。やがては、リ/ン/ゴだとわかるようになる」。この、言葉からだんだんと小さい粒を意識できるように発達していく力が音韻能力なのだそうだ。ディスレクシアのある子が「きゃ」「しゅ」といった拗音や「っ」の促音が読めない原因もここにあるという。ほかにも「おばさん」と「おばあさん」はそれぞれ何粒でどの位置のオトを伸ばすから意味が違ってくるのか、「きって」は幾つのオトの粒でできているのか...2つだと「きて」になってしまうが、3つだと「き」と「て」の間に何が入っているのかオトとして感知できない...。健常者は意識せず自然と出来ている事が、ディスレクシアのある子には非常に困難だと原さんは言う。
つづり正誤判断課題
デコーディングの正確さと速さを見ることができると考えて作成された。「【きんり】は、【きりん】をなんとなく覚えているだけだと○をつけちゃったりするかもしれません」。イラストが添えられているので意味を捉えやすく、デコーディングが正確にできれば語彙力と併せて○×の判断が早くつく。
発見から支援介入へ システム構築の模索
大きな課題も残った。
「(調査で)リスクが見つかった子には個別の掘り下げ検査をしたかったのですが、個別検査を実施するのが学校ではとても難しかったんです。どうしてその子だけ再検査するのか、保護者へ理由をどう説明するかという問題があって」。
たとえ検査の有効性が検証できても、発見から支援への実践に役立てなければ意味がない。開発した検査を教育現場に活かすには確かな根拠を示して学校側に受け入れてもらうことが不可欠だ。
そこで原さんは継続研究では、さらなるデータ数を確保して検査分析の精度をさらに高め、リスク児が漏れなく拾える基準値(カットオフ値)を割り出すことを目的とした。結果、3種類のスクリーニング検査を用いればデコーディング能力に問題がある児童を全て検出できることが検証できた。
さらに検査から支援介入に至る流れを実践し、その効果も検討した。当初は小学校の通常学級で〈スクリーニング検査⇒ELC検査⇒支援介入〉とつながるシステムが構築できればと考えていた原さんだが、学校で個別検査を実施することの難しさは経験ずみだ。そこで、医療機関を受診した小1~小3の4名の児童に協力を得て〈スクリーニング検査⇒ELC検査⇒掘り下げ検査⇒支援介入〉の流れをシミュレートした。支援システムのモデルとして有効性を検証できれば、教育現場での実践に活かせる根拠となる。具体的な支援方法は、各児の音読能力に合わせて工夫したオリジナルの読み教材【参照1】を作成。毎日1回分の教材を読むことを2~3か月続けてもらったところ、全員、音読時間が大幅に短くなってデコーディング能力の向上がみられ、かなりの効果が得られた。「指で追って読んでいたが、指を使わなくなった」「逐字読みで不自然だったイントネーションが自然になった」などの変化があったことも報告され、1日分の教材の分量や内容は負担にならず抵抗なくこなせるものだったと保護者からの評判も良かったようだ。
詳細な掘り下げ検査を受けるには専門機関を受診する必要があり、なかなか容易なことではない。「スクリーニング検査の段階で漏れなくディスレクシア児をすくいあげることができれば、個別検査をせず即座に支援介入を開始することは理にかなっているのではないか」と原さんがおっしゃるとおり、この検査を活かせば学級での発見から即介入へ着手でき、素早い対応の可能性がみえてくる。
「小学校の先生達の認識はかなり進んでいると思います。私は【ことばの教室】(言語通級指導学級。国の制度で対象は小中学校)の先生達とお付き合いがありますが、みなさんディスレクシアについてもよくご存知です。助成研究でデータを取らせていただいたのも【ことばの教室】の先生が是非にと口をきいて下さったりもしました」。
この4月から東京都では【特別支援教室】の導入をスタートさせた。都内全ての公立小学校に、準備の整った区市町村から順次設置していく予定だ。通級指導学級とは異なり、同じ小学校内にある教室に通って指導を受けられるので、他校に通う不便さや親の送迎といった負担も減る。ディスレクシアの子が指導を受けられる機会が増える可能性も高い。原さんが開発した簡便なスクリーニング検査でリスク有りとわかった子たちが【特別支援教室】の指導員や担任教師、保護者と連携をはかりながら「読み教材」に取り組む、そのようにプログラムが上手く廻り始めてくれれば、と期待は膨らむ。
読みの経験を豊かに
原さんが発見から支援介入に至るシステム構築を願うのは、アメリカ研修で実際の支援現場を見た経験も大きい。
「ディスレクシア児の指導で有名な私立校と、一般の公立校、両方を見せてもらったのですが、非常にショックを受けました。指導頻度が日本と全く違うんです。ほぼ毎日1時間リーディングの授業があり、リーディングティーチャーの人数も多い」。
先の支援介入シミュレートでも明らかなように、豊かな読みの経験をさせることが有効な支援だと原さんは言う。「毎日15分でいいから、読んでもらう。低学年のうちにやるべきことは読みの経験なんです。いま外部脳―読みあげはツールにやってもらって自分は聞いて知識を得る―ということも盛んに言われているようですが、外部脳を使って情報補償はできると思います。けれど、読むっていうのは自分の目で見て頭でオトに換える作業なんですよね。それは自分の頭でやらざるをえない。デコーディングを経験させて語彙力を増やしていくことが重要なサポートだと思っています」。
語彙と読みの発達は相互に関連しており、読むことを通じて語彙が発達する面もあるが、語彙が読みを支えることも先行研究で報告されており、読み能力の発達を考えるうえで語彙は重要な要素であるようだ。
「彼らにとって一つの鍵は意味なんですね。仮名文字1文字の習得が難しい場合があります。読みの問題が重度な場合です。そんな時はキーワード法と呼んでいますが、その子にとって意味のある言葉で教えていく方法を使います。ある子にヤの付く言葉は?と訊ねたら、ヤキニクと答えたので、焼肉の絵カードを作っておく。で、ヤの書字練習の時に「ヤ、ヤ、ヤ、わかんない...」「前に焼肉って言ってたよ」とカードを見せると「あ、そうだった!」と書けることがあるんです。ラも私が考えた「ラッパのラ」では駄目で、その子が考えた「ラッコのラ」なら覚えられる場合もあります」。
希望はユニバーサルデザインな教室
支援介入に実際に使われた教材も、イラストや例文など意味で「読む経験」を支えるための工夫が凝らされている。さらに、文字の提示の仕方の工夫も大切だという。
「読むのは避けたい子たちですからね。これなら読んでみてもいいかな、っていう支援ツールをそれぞれの子に合わせてどう探るか。内容を変更することはないんです、知的な問題はないので。分かち書きにするとか漢字にルビを振る、見やすいフォントを使う。フォントの大きさや行間、1ページの分量。目指すのはその子が読みやすい形で提示して読ませる事です」。
この「文字の提示の仕方」で面白い例を教えていただいた。
「私が指導している中学生がテスト用紙を持ってきた事があります。びっちり書いてありますよね。それで本人にどんなテストなら見やすいのかを聞き取り、本人が学校に要望として出したんです。問題文には大きい字で「大問1」「大問2」のような表示をつけてもらいたい、本文と設問は別々に括ってもらいたい、2段組みにして1行を短くしてもらいたい、とかね。やってみたら、なんと全体の平均点が上がったって言うんです。他の生徒もそのほうが読みやすく理解しやすかったんでしょうね」。
こういったユニバーサルデザインの考え方が教室にも広まれば、どの子にとってもわかりやすくなると原さんは言う。
「教科書ひとつとっても、A子ちゃんだけ特別にじゃなく、誰でも読みやすいものを選べるようになったらと思いますね。劣ってるからでなく、人はそれぞれ自分がやりやすい方法を使って同じ目的に行けばいいのだ、という理解が広まってほしい」。
研究で得たデータや支援方法は、現在も原さんたちのグループの臨床に活用され、さまざまな知見が蓄積されている。さらに原さんは今後、就学前の子どもたち、具体的には幼稚園の年長児のディスレクシアの兆候を発見する検査方法を考えていく予定だという。今年度から厚生労働省の研究助成を受けた研究グループの一員として、その調査を始めている。
「調査した子が小学校に入学してからどうなっていくのかを追っていきたいですね」。
低年齢のうちに教育現場で実施できる「発見」と「豊富な読みの経験」による支援のシステム化。原さんのディスレクシア児との伴走はこれからも続いていく。