研究紹介ファイル
No.21 河合 裕美氏
聴覚障がい児への「日本語表記を介さない」英語音声指導法を検討
現場教員の皆さんと一丸となって取り組めたのが何よりの成果
かねてから、カタカナなど日本語を介して英語を指導する方法を抜本的に見直したいと考えていた河合さん。
日本語を母語とする児童に対する英語音声指導(聞きとりと発音を組み合わせた指導形態)の効果や、彼らの英語音声知覚・産出の特徴を明らかにする研究に取り組んでおり、聞きとる力が向上すれば発音もできるようになることがわかっているという。
研究助成申請当時を河合さんはこう振り返る。
「2020年の小学校での英語教科化の全面実施を目前に、公立小学校の協力を得て実践研究活動に入っていた時のことでした。小学校5年生の通常クラスに在籍する聴覚障がい児のそばで個別支援をしていた聴覚障がい特別支援学級(「きこえ学級」、以下同)の担任教員が、ALT(Assistant LanguageTeacher/ 外国語指導助手)が発音した英単語をカタカナで書いて支援する様子を目の当たりにしたのです」。
それが助成研究に取り組むきっかけのひとつだったという。
「あぁカタカナなんだなぁ、ALTのネイティブな発音を聞ける環境があるのに、と非常に残念でした。実はそのクラスには聴覚に障がいのある児童が2名いたのですが、公立小学校の通常学級に在籍する聴覚障がい児が増えていることも当時は知りませんでした」。
先行研究によれば、補聴器や人工内耳などの医療技術が進歩したこと、学校教育法の改正や障がい者差別解消法の施行により、聴覚障がい特別支援学校に通学する児童数は減少傾向にあるのに対して、通常小学校で学ぶ聴覚障がい児は増加しているという。
「英語習得は音声(聴解と発音)が入口です。聞きとることに困難を抱えている子どもたちが通常学級で学びながら英語を習得していくにはどうすればいいのか。"カタカナで支援する術しか知らないんです"とおっしゃったきこえ学級の担任と一緒に、この子たちのために何ができるのだろう、英語を英語の音のまま教えるにはどうすればいいのだろう、から始めたのが助成研究です」。
かなり騒音が高いとわかった英語授業中の教室
そこで河合さんは聴覚障がい児を対象とした、日本語を介さない英語音声指導方法構築の根拠を示すため、
Ⅰ:聴覚障がい児を取り巻く学校の音環境の実態
Ⅱ:聴覚障がい児がどれくらい英語音声を知覚し産出する能力があるのか
を明らかにすることを目的に、まず小学校の教室の騒音調査に着手した。
調査対象は千葉県内の公立A小学校の①高学年通常教室②英語ルーム③きこえ学級教室(防音施工)、の3か所。各教室の英語授業中の騒音を3か月にわたって調べたところ次のような特徴がわかった。【表1】
- 英語授業中の騒音値の変化が大きい。
- 通常学級と英語ルームの平均騒音値は、きこえ学級教室より有意に高い。
- きこえ学級教室の平均値でさえも推奨値*1 の50㏈をはるかに超えていた。
「小学校の英語の授業は声を出し、立ち歩くことが多いのです。今日習ったフレーズを使ってコミュニケーションしてみよう、と教室内を立ち歩き相手を変えながらやり取りをしていきます。その際、聴覚障がい児が装用している補聴器が教室内のノイズをひろってしまい、対面している相手児童の声が聞きとりづらいことがわかりました」。
河合さんの目に止まった、きこえ学級の担任がカタカナ書きで支援していた場面も、会話相手の児童の声が聞こえないために行っていた支援だったそうだ。
「小学校という場所は、ほかのクラスからリコーダーの音が聞こえてきたり、グラウンドから体育の授業のホイッスルの音が聞こえてきたりと、いろんなノイズが教室に入ってきます。ひとつの教室内だけで静けさを保つのは難しい環境なのかもしれないと、騒音測定をして改めて気づきました」。
*1 学校環境衛生基準「騒音」:教室内の等価騒音レベルは、窓を閉じているときはLAeq50㏈以下、窓を開けているときはLAeq55㏈以下であることが望ましい(文部科学省,2018)
【表1】A小学校3教室の英語授業中の騒音平均値㏈(LAeq)の記述統計量
※英語ルーム:低学年の聴覚障がい児が低学年の通常学級児童とともに外国語活動の授業を受ける教室
聴覚障がい児には高周波域と摩擦音が聞こえづらい
次に、聴覚障がい児の英語音声知覚と産出能力の実態を知るため、それぞれ知覚テストと産出テストを行った。
調査対象は騒音調査を実施した自治体内小学校の高学年の聴覚障がい児3名(軽度から重度まで)。
実施した知覚テストは[①英語非単語②英語ミニマルペア*2 ③④2種類の英語音韻認識テスト*3]、産出テストは[⑤日本語構音⑥外来語⑦英語現実単語⑧英語非単語]。ともにきこえ学級担任教員による個別指導の事前と事後に実施した。また低学年の聴覚障がい児5名(軽度から重度まで)は⑤⑥を、高学年聴児5名(統制群)は⑤⑥⑦⑧を受検した。その結果、次のことがわかった。
- 聴覚障がい児は聴児に比べて摩擦音、破擦音などの知覚•産出能力が低い。【図1】
- 聴覚障がい児、聴児ともに摩擦音、破擦音が発音しづらい。【表2】
「測定には英語を母語とする子どもの音声処理システムを応用した測定方法を用いました。テストに参加した聴覚障がい児の裸耳聴力を調べたところ周波数の高い音が聞こえづらい傾向があることもわかりました」。
先行研究によって英語音声は日本語より周波域が高く、かつ、摩擦音*4 の頻出度が多いことがわかっているそうだ。
「英語の摩擦音の[s]や[z]は三人称単数現在形や複数形などで頻繁に使われますので、英語圏の聴覚障がい児はコミュニケーション障がいが起こりやすいといわれています」。
日本語を母語とする聴覚障がい児にとっては、より聞こえづらいと言えるだろう。
*2 英語ミニマルペア:音が1か所違うと意味が異なる単語のペア。例)book とcook
*3 音韻認識:③オープン(単語の頭音の判別) ④エンド(単語の語末音の判別)
*4 英語の摩擦音:[s s]‐[z z]‐sh[ ∫] など
【図1】聴覚障がい児(ID1〜ID8)と聴児(4年5名)の日本語構音能力:子音のエラー出現数(日本語構音テストと外来語テスト結果)
よく見ることで聞こえを補う 聴覚障がい児の"傾聴姿勢"は聴児のお手本になる
個別指導によって聴覚障がい児の知覚能力も産出能力も向上したという結果が出た。【表3】しかも知覚テストの事前結果に関しては、河合さんが別の研究で同様のテストを聴児に実施した際の聴児の事前平均よりも高かったのだ。
「聴覚障がい児の場合、普段から相手の口の形をよく見て聴覚を補う態度が身についています。この"傾聴姿勢"は聴児にとっても有効である可能性が示唆されたと思います」。
個別指導には、先行研究で効果が報告されている「明示的な英語音声指導法」を用いた。
「英語には日本語に無い音があるため、日本語を母語とする子どもたちには英語音声の聞きとりも発音も難しく感じられるのが一般的です。一方、英語圏の子どもたちは、例えば『fish』は『f-i-sh』という3つの音でできていることを、4~5歳の幼稚園ごろに明示的に指導されます。自然に覚えるわけではないのです。この聴解と発音ができないと、その後、音に対応した文字に結びつけることも難しいのです」
すでに日本語の音声体系を身につけ、『fish』が『fi /フィ』と『sh /シュ』の2つのかたまりに聞こえる日本語母語の子どもたちには初習段階で英語の音声体系を指導する必要がある、と考える河合さんは「明示的な英語音声指導法」をきこえ学級の担任教員に対して研修し、聴覚障がい児を指導してもらい、その効果を検討した。
聴覚障がい児に対して実施した明示的な英語音声指導法
- 英語の発音を繰り返し聞かせる。
- 発音する人の口形や口周辺の筋肉の動きをよく見て、口形を模倣するよう指導する。
- 指導する英語音の順序は、口の形がわかりやすい音から順番に行う。聴覚障がい児の場合は特に音の産出は時間をかけてスパイラルに指導する。
- 絵本や物語など文脈の中で「意味」を理解させながら語彙の聞きとりや構音を指導する。
「意味」を理解しながら語彙と音をリンクさせ習得しやすくする効果を狙い、河合さんは英単語の「絵カード」教材を開発した。【参照1】
「"動物"や "食べ物"などのカテゴリー別でなく、音素が同じ単語をグループ化した絵カードを作りました。継続助成時にも内容を検討•精査して最終的に285枚のカードを作成しました。カードを示しながら、紛らわしい音を実際に発音しクイズ形式で答えさせ、次第に音の違いをつかめるよう指導していきます」
【参照1】開発した絵カード
さらにきこえ学級担任の実践後の振り返りを分析したところ、次のような成果が明らかになった。
- 教員研修の成果:実践をするまでは、聴覚障がい児に対しては「無理に発音しなくていいよ」が配慮だと思っていたが、研修を受けたことで明示的に指導しようという自覚ができ、自身も発音トレーニングを実施した。
- 児童の意識変容への気づき:児童に口形への注視指導を徹底した結果、次第に児童の傾聴姿勢ができ、児童も音声の判別ができるようになった結果、その活動自体を楽しいと感じるようになった。
- 通常学級と個別指導の連携体制:必要性を強く感じるようになった。
以上のように助成研究では、小学校の英語授業中の教室は騒音が大きく、聴覚障がい児には教室内の音環境を踏まえた合理的配慮が必要であることが明らかになった。また、聴覚障がい児が聴覚保障として身につけている「口元を見る」姿勢は聴児にも有効であることが示唆された。さらに、明示的な英語音声指導を受けたことで聴覚障がい児は英語音声の知覚・産出能力がともに向上し、指導を実践したきこえ学級の担任教員からは、通常学級ときこえ学級との連携が必要だとの問題意識が提示された。
そこで継続助成研究では、聴覚障がい児に対して実践した明示的な英語音声指導法を通常クラスへ拡大し、通常学級と特別支援学級の外国語指導連携体制を意識したティームティーチングを展開することにした。
クラス内の子どもたちみんなに有益な音環境を作る
まず聴覚障がい児への合理的配慮を具体化するため、外国語授業中の通常学級での騒音値と活動分類とを照合した。【表4,図2】
音環境の保障としてすでに使用している支援マイク(聴覚障がい児が装用している補聴器に直接音を送る)に加え、支援スピーカー(高周波数をひろうことが可能かつクリアな音が隅々までいきわたる)を通常学級内に設置し、次のような使い方をルール化した。
- 「インタラクション」など対話活動:聴覚障がい児の対話者の児童がマイクを持つ。
- 「発表」の活動:発表者がマイクを持つ。
- 「発音」の活動:発音担当の指導者がマイクを持ち、発音指導の際の口元・口形を一斉に見る傾聴姿勢を育成する。
- 「発音」「リスニング」「読み書き」の活動:聴覚障がい児の机に支援スピーカーを置くことで、教室後方まで聞こえづらい英語子音が届くようにする。
さらに騒音値を詳細に分析し、授業動画と照合した結果、「発音」の活動中にALTが語彙を発音する直前、児童が一斉にALTの口元を注視し、騒音が一瞬50㏈近くまで下がっていることがわかった。
「一瞬シーンとなる音環境づくり、これが通常学級の一斉指導においては非常に大事だと思います。聴覚障がい児はもちろん、教室の後方に座っている児童にもALTの発音がよく聞こえます。傾聴姿勢の育成は、日本語を母語とする子どもが聞きとりづらい英語音声を聴解し産出するために必要な視覚的学習方略や、口形模倣を意識づける指導法だと考えます」。
【図2】外国語授業中の活動別平均騒音値(㏈)
見て真似ることでリスニングや発音の力がついてくる
明示的な英語音声指導の効果を検討するため、河合さんは聴児に対してもいくつかのテスト調査を行った。
対象者は、助成研究時と同じ公立小学校5年生の通常学級に在籍する60名。
英語能力については聴解能力テスト[英語音韻認識①オープン②エンド]と、産出能力テスト[発音③現実単語発音④非単語発音]を実施した。
テストは明示的な英語音声指導の事前と事後に実施し、聴解能力テストの事前平均点によって上位群と下位群に分けた。
対象児童にはアイトラッキング(視線追跡)テストも実施し、英語母語話者が発音する際に発音者の口周辺を注視する時間を計測した。
また、前期と後期の学期末に、学習内容や授業態度についての振り返り調査を実施した。
これらを事前事後で比較した結果の一覧が【表5】で、次のようなことがわかった。
アイトラッキングテスト/英語母語話者が現実単語を発音するのを見て発音する児童の注視を示すバブル
- 英語能力(①②③④)*5 、注視時間(⑤⑥)、英語学習に対する意識(⑦⑧)がおおむね両群とも事前より事後のほうが高かった。
- 上位群は③④の産出能力と、⑦⑧の英語学習に対する意識が事前と事後で有意に向上した。また、①②の聴解能力は事前と事後では有意差は認められず、すでに高い聴解能力を身につけている。
⇒ALTが発音する口形に注目し発音方法を明示的に指導されることにより、視覚的な学習方略を構築し、正確に発音しようとする意識が高まり、学習意識が高揚したと考えられる。 - 下位群は①②の聴解能力、③④の産出能力、⑦の学習意識において事前より事後が有意に向上した。特に①②の聴解能力が大幅に向上し、注視時間でも⑥の非単語に関しては事後の結果が上位群とほぼ同等になっている。
⇒音声を「聞く」だけでなく口形を注視する指導を繰り返したことにより傾聴姿勢が育成され、視覚的な学習方略を構築しつつあることが推察される。授業中の傾聴姿勢の育成成果が事後のテスト結果につながったと考えられる。
「特に④の非単語発音は意味表象を伴わないので、口形を注視しないと真似できません。見て真似ることを含む"傾聴姿勢"育成の効果が検証されたと思います」。
*5 テスト結果の①〜⑨は【表5】の①〜⑨に対応する
さらに河合さんは、下位群の英語能力が事前より事後で有意に向上したもう一つの要因として、連携体制の構築を挙げる。
「通常学級担任、ALT、聴覚障がい特別支援学級担任、聴覚障がい特別学級支援員、そして研究代表者である河合、でティームティーチング(以下、TT)を実施し、TTに関わるこれらのメンバーを『授業運営者』としました」。
この学年には、聴覚障がい以外にも、外国にルーツのある児童や発達障がいのある児童、構音障がいがあることに河合さんが気づいた児童などがいたそうだ。連携体制のもと、外国語授業において困難を抱え支援を必要としている児童の指導・配慮・支援を授業運営者全員の重要課題とし、定期的に授業内容の打ち合わせを行い、支援を必要とする児童については情報共有を心がけたという。通常学級の外国語授業内で授業運営者らが協力して机間指導を行い、一丸となって、ALTの口元を見るよう必ず声掛けをするなどの"足場かけ(scaffolding)"を行いながら傾聴姿勢の育成に取り組んだ。
「先生の声掛けは児童の意識づけに影響力があります。子どもたちを褒めるのが上手です。〇〇君、いい目をしてALTの先生を見ているねとか、〇〇さん、今日はいい声が出てる!など。非常にいい勉強になりました」。教員の意識づけが授業中の雰囲気を良くし、やり取りの活動中に児童が積極的に相互交流を進め、上位群の児童が下位群の児童を手助けするような場面も数多く観察されたそうだ。
「継続助成の途中でコロナ禍のため、私が学校へ出向くことができなくなり、気がかりだったのは5年生の時にどうしても心を開いてくれなかった数名の子どもたちのことでした。学年の最後に全員が英語で発表をする活動があるのですが、皆の前に立つと何も言えなくなってしまう。が、6年生になって担任の先生を軸に授業運営者の先生方が彼らに寄り添い、コミュニケーションをとったことで、全員がちゃんと発表できたのです。え?あの子も?あのB君も?と驚きました」。
4年生から継続的に個別指導を受けていた聴覚障がい児のAさんも堂々とした英語で、中学生になったらバドミントン部に入りたいことや、料理をするのが好きなことを発表したそうだ。
「今後は助成研究で得た知見を聾学校の英語教育で展開できないか、聴覚だけでなく特別支援に関わる子どもたちの特性に応じた指導法を検討していけないかと考えています。現場の先生方のために英語授業の評価についても検討は必要です。協力を申し出てくれる先生方とともにこれからも教育実践に携わっていきたいですね」。
共同研究者の松尾理恵先生がアルファベット文字の名前の発音を指導している様子(聴覚障がい児Aが4年次)
共同研究者の松尾理恵先生が/s/音をALTと指導している様子(聴覚障がい児Aが6年次)