研究紹介ファイル
No.15 高橋 薫氏
優れた教育実践、先生の経験知を"見える化"
生きていくうえで一生ものの「論証力」を育む実践でした
「アントレプレナーシップ教育」って何?
耳慣れない言葉だな、と感じる人も多いのではないだろうか。
アントレプレナーシップ教育(起業家教育、以下アントレプレナー教育)とは、起業家に必要とされる問題解決能力やコミュニケーション能力の育成を目的として小中学校の授業でも取り上げられるもので、高橋さんは、総合的な学習の時間にアントレプレナー教育に取り組んでいた山形県米沢市立南原中学校(以下、南原)の1年間の実践を「ことばの力」に着目して検討し、実践の成果を検証した。
「優れた実践があって、その成果を明らかにするお手伝いをさせていただいたと思っています。現場の先生方の『生徒の言語力が伸びている!』という実感や経験知で行っていることを、外部的な指標でどう評価するか、私が"ものさし"を持って行って測ってみた、ということでしょうか」。
実践の成果として高橋さんが特に注目したのが、「ことばの力」の中の書く力だ。
「私はもともと、日本語を第二言語とする成人外国人を対象にライティング指導をしていました。そのときに上手くフィードバック(添削)するのは難しいなと感じる経験が多々あり、ライティングのフィードバック研究をやろうと大学院に入ったのです。しかし、先行研究を学ぶうちにどうも添削では作文は上達しないのではないかと気づきはじめ、ならば書く力を伸ばすにはどういう支援が有効なのか、作文の上手な人と下手な人は何が違うのかといった視点でライティング研究に取り組むようになりました」。
一般的にアントレプレナー教育では、思考力やプレゼンテーション力を養成しようとする実践が多いようだ。高橋さんは、南原の実践は、言語力が伸びるような工夫が随所になされている点に特徴があると考え、言語力育成という観点からアントレプレナー教育を捉えた。そして言語力の中でも「自分の意見を論理的にわかりやすく述べる力」=「論証する力」に焦点をあて、1年間にわたる実践のスタート時と終了時に、同じテーマで生徒に意見文を書かせ、その作文の質と量の側面から書く力がどう変容したかを調査・分析し、南原の生徒が「ことばの力」を伸ばしていることを明らかにした。
地域の銀行マンから直に融資を通すノウハウを学ぶ
では具体的に、南原の実践のどこに、どんな言語力が伸びるような工夫がなされているのだろう。
南原のアントレプレナー教育は、3年間を通したカリキュラムが組まれており、1年生のときは予備段階として地域研究やコンピュータ操作の基本スキル習得を目的とした授業が行われる。2年生になると本格的な取り組みが始まり、生徒はグループ単位で会社を設立、社名やロゴマークも考案し、地域の特産物を活かした商品の企画、製造、販売、決算まで実社会のビジネスプロセスを体験的に学習していく。3年生は2年次の活動を分析・評価して新たな商品づく
りに挑む、という流れで、高橋さんは2年生の1年間の実践を対象に研究を行った。
【表1】は2、3年生が取り組む活動の年間計画だが、高橋さんは言語力育成に関わると考えられる活動の中に「教室内に留まらない、リアルな読み手や聞き手に向けた活動」が取り入れられている点に着目し、その真正性(authenticity)の高さが「ことばの力」の伸長に有効に働いていると考えた。
「学校教育における作文の指導は、教師が読み手であることがほとんどですが、先行研究によれば、教師に向けて書かれた作文と、真の読み手に向けて書かれた作文を比較すると、後者のほうがより質の高い文章が産み出されるという報告があるのです」。
リアルな読み手や聞き手に向けた活動の見本例が、「ビジネスパーソンによる企画プレゼンテーションの指導」(表1、⑤)だ。
【表1】アントレプレナー教育年間計画
「自社商品が決まったら、商品開発に必要な資金を"教頭銀行"から融資してもらうため、生徒は教頭先生に企画書のプレゼンテーションを行って融資の承認を得る必要があります。そのプレゼンの準備段階として、地域の銀行マンが直接、事業案の説明の仕方を指導してくれるのです」。
ここでは、想定するユーザーや商品のコンセプト、商品の新規性や訴求点について明確に説明し、事業計画と融資費用の返済見通しなどを具体的に提示する必要があるそうで、かなり本格的な内容だ。
「生徒たちは結構シビアな指摘をされます。『君たち、これ原価がいくらなの?』とか、『製造プロセスでロスが出ると思うけど、そういうの考えてる?』とか。やはり相手は銀行家ですから」。
ダメ出しをくらった生徒はションボリするそうだが、
「融資に値すると納得してもらえる商品にしなければならないので、企画書を本気で何回も何回も練り直します。ここでGOサインが出れば、教頭銀行の融資はほぼ確実になるのです」。
これまでの活動を共有している教師でなく、学外のビジネスパーソンに企画意図を理解してもらうため「論理的にわかりやすく述べる」ことが強く求められる場面だと高橋さんは言う。
もう一例が「地域の魅力発信アイディアコンテスト」への応募(表1、⑧)だ。
コンテストの応募書類は、自社の商品をアピールするために、既存の商品とは何が異なるのか、どのような工夫が凝らされているかを、論拠を示して主張する必要がある。商品のネーミングも重要なPRポイントだ。
「銀行家やコンテストの審査員というリアルな読み手を意識して書くだけでなく、その結果、読み手に行動を起こしてもらわないといけないですよね。企画を通して融資をしてもらわないと商品が作れない、審査員の心を動かして賞を取りたい。最終的に相手を動かせるかどうかがかかっている点が、かなり真正性の高い活動になっていると思います」。
実際に生徒が企画開発した商品「鯉しちゃったんだ♪しゃもじ」と、その製造風景。
「"米沢のABC"と呼ばれる特産物があり、AはApple、Bは米沢牛のBeef、Cは養殖鯉のCarp。米沢は山間部で魚がとれないため食用の鯉を養殖しています。こういう地域の特産物をモチーフに商品を企画していくのです。写真のご飯は雪を使っていて、アイディアが豊富ですよね。裁縫男子が頑張っています。」(高橋さん)
参照:「経済産業省東北経済産業局 平成19年度スクール発明王コンテスト」より
作文の上手い下手は読み手意識があるか否か
では何故、真正性の高い活動を通して読み手を意識すると「質の高い文章」が書けるようになるのか。
「作文の上手な人と下手な人の違いの一つに、読み手意識があるかどうかがあり、かなり重要だと思っています。英語の論文ではオーディエンス アウェアネス(audience awareness)とよく出てきますが、自分に伝えたい思いがあり、それを受け取ってもらう相手、というニュアンスでしょうか。未熟な書き手は作文のお題が与えられると思いつくままに書いてしまいますが、読み手意識のある上手な書き手は、同じテーマでも大人に向けて書くのと子どもに向けて書くのでは違った文章を書きます」。
つまり、伝える相手が違えば、できあがる文章も異なる、ということだ。
誰に向かって書いているのか、読み手が子どもだからこの言葉はわかりやすく言い換えないと伝わらないな、与えられたテーマからずれていないかな、などと、書き手が書く過程で自己内対話を行うことを「作文過程での内省」と言うそうだ。
「書く力を伸ばすには、書くプロセスで書き手の内省が繰り返されるようなサポートをすることが大事だと考えています。私は『内省を促す支援』と言っていますが、読み手意識は、その支援の一つになるのです」。
南原の実践は、学外に人的協力を求めて連携したり、外部のコンテストを活用するなど、読み手を意識して書かざるを得ない真正性の高い状況を設定することで、生徒が、この人に伝えるにはどうすればいいかを自分に問いかける=「内省」を繰り返すようデザインされている、と高橋さんは見た。さらにもう一点、
「私の研究は個人内の内省を促す研究でした。一方、南原の実践は、他者と対話をすることで内省を促す、そういう活動になっていると捉えました」。
南原はコンテストの常連校だったため、文章を作成する前には先輩が作成した文書を分析する活動が設けられている。コンテストの応募書類しかり、『校内特許の申請』の場面でも同様の分析活動が行われ(表1、②③)、自社商品の新規性や訴求点を先輩たちの商品と対比し、友達と活発な議論を交わしながら一つの書類にまとめあげていく。ここにはグループメンバーとの対話もあれば、"先輩の企画"との対話もある。また、書きあがった文書類は生徒同士で読みあい、改善のフィードバックを行うピアレスポンス(peer response)活動も取り入れられている。
「会社として一本の企画をつくるわけですから、そこでは仲間を説得したりされたりの話し合いが繰り返し行われます。出来上がった商品は地域のバザーなどで販売しますが、アピール度が弱いと売れないのです。売れないと会社が赤字になりますから、どうアピールしたら売れるかをみんなで必死に考える。実践の最初から最後まで、自分たちが届けたいアイディアや考えがあって、それを届ける本当の相手がいる状態の中で、本気のやり取りを繰り返しているのです」。
実践の前と後では「論証の構造」が大きく変わった
以上のような南原の実践の特徴をふまえ、高橋さんは「自分の意見を論理的にわかりやすく述べる力」に焦点をあてて、2年生全員を対象に書く力の変化を検証した。
「私より先に南原の実践に関わっていた知財教育の専門家に協力してもらい、実践開始まもない時期に生徒が知的財産権の講義を受けた後(5月、表1参照)と、実践終了後(翌年2月下旬)に同じテーマで意見文を書かせ、その成果物を通して書く力の変容を調査、分析しました」。
テーマは「DVDなどのコピー商品を販売している人たちに向けて、販売をやめてくれるよう説得してください」というもの。
高橋さんが使った"ものさし"は次のようなものだ。
〈質の評価〉
①全体的評価(holistic analysis)
意見文が説得的か否か、全体的な印象を5段階で数値化(優れている/5点~劣っている/1点)。
②論証の型の評価
6項目(主張・理由・データ・出典・反論の想定・反駁)を評価指標とし、表れていれば1、表れていなければ0の2段階で数値化。
〈量の評価〉
字数をもとに3群にレベル分け(上位/300字以上、中位/300字未満200字以上、下位/200字未満)。理由は事前テストの字数が多い生徒ほど全体的評価の数値が高いという相関がみられたため。
これらの指標を用い、事前と事後の変化を分析したところ、【図1~3】のような結果が得られ、作文の量(文字数)、作文の質(全体的評価・論証の型の評価)いずれも、事前と事後の数値を比べると、上位・中位・下位すべてのレベルで得点を伸ばしており、作文の量と質の両方を向上させていることが明らかになった。
特に高橋さんが注目したのは【図4】「論証の型の下位項目の出現率」だ。
先行研究によれば、意見文の基本要件は「主張」「データ」「理由づけ(論拠)」の3つであり、論拠に基づいた主張を展開するためにはデータを示すことが重要だとされている。データとは具体的な数値や自分の体験などの情報だ。
「事前テストでは、主張となぜそういう主張ができるかの理由くらいはあるのですが、それを支えるデータは乏しく、さらにその出典となるとほとんどの生徒が書けていませんでした。知財教育の際には『偽ブランドのコピー商品販売の38%は店頭から(警察庁平成19年度の上半期調査)』といったデータや出典を示したスライドを見せているのですが、それを文章に反映できていない。ところが事後になると、半数以上がデータや出典を示して書くようになり、さらに反論を想定して自分とは違う意見に再反論する、といった高度な論証ができるようになった生徒が4割以上にのぼっています」。
つまり、意見文がより説得的になり全体的評価の得点を伸ばした理由は、実践を通して意見文の論証構造を変化させたためではないか、と高橋さんは考えた。
「こういう高度な論証力は、型を教えることでも可能だとは思います。ただ、南原の生徒は、リアルな読み手を意識し、その相手に説得的に伝えるにはどうしたらいいかを繰り返しトレーニングしていく中で、できるようになっていったのだろうと思います」。
【図1】字数の変化
【図2】全体的評価の変化
【図3】論証の型の評価の変化
【図4】論証の型の下位項目の出現率
普段の授業では目立たない子が輝く理由
さらに高橋さんは次のような興味深い話を聞かせてくれた。
「普段の授業では目立たない子どもが輝いたりするんですよね。実践の最後に校内で報告書コンテストが行われ(表1、⑩)、私も審査をしたのですが、とてもいいと思う報告書があり優秀賞に選びました。教員はその報告書を読んで驚き、書いた生徒が誰かを知ってまた驚いたそうです。それまで賞を取ったような経験もなく、国語の授業でも特に目立つことのない生徒だったそうで本人もびっくりしていました。その子の会社は商売的に上手くいかず赤字になってしまったのですが、なぜ自社商品が売れなかったのかを深く考察し、自分なりにデータを示し理由づけもしっかりしていました。主要5教科では測れない力を身につけた、ということかなと思います。おそらく、普段の授業の中では、このような論証の力が問われる場面があまりなかったのかもしれませんね」。
助成研究の今後の課題として、当時、高橋さんは、検証された書く力の向上が、知的財産権とは関係ない他の領域でも応用可能な「ことばの力」として身についているかどうかを検討する必要があると考えていた。検討方法には、知的財産権とは異なるテーマで意見文を書かせる遅延テスト調査を予定していたが、今回はその結果についても報告を聞くことができた。
「南原とは違う中学校の協力を得ました。協力校の生徒はアントレプレナー教育を受けていませんが、知財教育のレクチャーは南原と同様の内容で受けてもらい意見文を書いてもらいました。調査・分析方法も同様です。事前の結果は協力校のほうが全体的に上でした。協力校は米沢市の中心部にあり、もともとの学力も高い。が、事後の意見文の得点は南原が逆転しました。そして南原の実践終了1か月後、両校に遅延テストを実施しました。テーマは『あなたは中学生が自分の携帯電話を持つことに賛成ですか?反対ですか?』。その結果は、南原のほうが上だったのです」。
つまり「いちど熟達してできるようになったことは持続する」のだと高橋さんは言う。
「自転車に乗れるようになるのとよく似ていて、いちど乗り方を身につけたら、その動きは自動化されて意識しなくてもできるようになりますよね」。
南原の実践を通して生徒が身につけた「論証する力」の向上は、他の領域でも応用可能な力になっている、と高橋さんは南原の実践の全容をまとめた。
論証する力は自己表現の基本
現在の高橋さんは大学で初年次教育のコーディネーターとして、アカデミックな論文が書けるようになることを目的としたスタディスキル(論理的思考力や書く力、話す力の育成)、学生生活とセルフマネジメント(情報リテラシーやキャリア教育)などの科目を担当している。
「いちばん重視しているのは論証の力をつけてもらうことです。スタディスキルの目標は大学の教育に慣れてもらい、最終的にアカデミックライティング型のレポートを書けるようになることですが、その型の基本は論証です。高校までの教育では問題には正解がありそれを導き出す解き方を覚えれば良かった。しかし、大学の教育は正解のない問題に自分なりの納得解を出していくもので、そのためには論証力が必須です。これは南原の生徒がやっていたことと同じで、問題を解決していくプロセスでの頭の使い方は一生もの。生きていく中で解決すべき課題にぶつかった時、必ず応用できる力だと思いますし、中学生の時にこの力を身につけることができた南原の実践の意味は大きいと思います」。
2020年の教育改革では大学入試がセンター試験から共通テストに移行し、共通テストには記述問題が導入される。この改革は高校生だけでなく小学生にも「論証の力」を求める要因となっているようだ。
「大学院時代の恩師の講演を聴いて、なるほどと思ったことがあります。日本語の語順は主語・目的語・動詞の順になっていて述語が最後にくるためか、日本語を母語とする子どもは『...しました。それから、...』というように、時系列に沿って話しをするのは得意なのだそうです。対して欧米圏の言語は主語・動詞・目的語の言語構造なので結論先行型になる、つまり『私はこう思う。なぜなら......』という自己主張の型に、幼い時から慣れ親しんでいるので論証の型が身につきやすい。一方、日本語を母語とする子どもに結論先行型の思考や書き方を身につけさせるには、やはり何らかの支援が必要なのだそうです」。
そういう実情をふまえ、高橋さんは現在、小学生を対象に論理的に書く力を育てるトレーニングを行っている学校の教育実践を評価する研究にも取り組んでいるそうだ。
「論証する力は自己表現するときの基本だと思います。私は第一言語と第二言語、双方の日本語教育に関わっていますが、最近増えている外国にルーツを持つ子どもたちに目を向けると、日本語だけではなく、自分の母語ですら自己表現することが困難なセミリンガル(semilingual)の子どもたちも増えています。自分はこう思う、なぜなら...と論述するのは高次の思考能力だと思いますが、それができる何らかの言語を初等中等教育で身につけていれば、異なる言語でも同じような思考を行う基盤ができると思います。論証力は万国共通だと思いますし、グローバル社会の中で生き抜くための力の一つだと言えるのではないでしょうか」。
大学図書館のラーニング・コモンズスペースの一角で。