Vol.10 |
2018.08.20 |
観察のコトダマ
仕事で行ったパリでのこと。
夜、スタッフとお酒を飲んでいると、
クリエイティブディレクターが、
「昼間見たオペラ座を描いてみて」
と仲間に言いました。
お酒の余興です。
紙ナプキンを使ってそれぞれが
描いていきました。
「緑の屋根だったかなぁ。金の彫刻が
乗っていたような気がする・・・」
なんて思い出しながら、私も描きます。
出来上がったものは、惨憺たるもの。
思い出そうとしてもうまく描けないのです。
みんなも同じようなものでした。
「こりゃ、ないだろう!」
と出来の悪いのを笑いとばしていると、
クリエイティブディレクターがさっと
紙ナプキンをとりました。
青インクのボールペンで三角形の屋根
と玉ねぎ上のドームの上に乗った
アポロ像を描きだしました。
「1階と2階の柱の違いが特徴なんだよ」
と言いながら描いていく。
私の適当な絵は4階建で、柱は適当に
線が引いてあるだけなのに、上司は、
柱にあった彫刻の位置まで正確に覚えて
いました。
「すげ〜!」
という声に包まれる。同時に
「エッフェル塔は描けますか?」
と声が飛ぶ。クリエイティブディレクターは
エッフェル塔も正確に描きました。
「お前らさ、パリにきても観察してないんだよ」
と笑う上司。
なるほど写真は結構撮っているけれど、
肝心な観察はしていない。
対象になるものを、じっくり眺めることを
ちっともしていなかったのです。
時は流れます。
現在、私の席のとなりには
美大受験生の娘を抱えるデザイナーが
座っています。
デッサンを習い始めた娘に、
彼女もデッサンを教え始めたそうです。
「デッサンとは、形、質感、距離、
回り込み、映り込み、光、影。
何時間もかけて、モチーフから情報を
発見し、鉛筆で表現すること」
彼女はデッサンをこう定義し、
「描けないと思っても、あきらめずに粘っていれば
形になってくるから」
「よく見て 自分が発見したことしか
表現できないよ」
「形が狂ってるよ、 間違っていると気付いたら、
躊躇しないで直す」
「没頭すると視野が狭くなるから
冷静になって全体を見ること」
「左手にはずっと練り消しゴム、描いては修正。
最初から最後まで ずっとその作業だから」
と声をかけているそうです。
この話を聞いて私は、10年前の
パリの夜を思い出したのでした。
「対象をじっくり見る」という
クリエイティブディレクターの言葉を
因数分解し、娘に檄をとばす母親の
言葉に、
「観察のコトダマ」
を見たのでした。
「私にとってデッサンは哲学。
母になり、娘にデッサンを通して哲学を
伝えることができるなんて、
本当に2浪してよかった」
と笑う母デザイナー。
その笑顔は、夏のパリの空気のように、
カラリと乾いて、爽やかでした。