Vol.25 |
2019.03.25 |
ビッグイベントのコトダマ
1970年に大阪で万博が開催されたとき、
私は小学校4年生でした。
西宮で暮らしていた上に、父が万博に
パビリオンを出している会社に勤めていました。
その父に連れられて行ったのが、開催から
間もない春のことでした。
身の毛もよだつ・・・というと
悪いことが起こりそうだけれど、
そうとしか表現できないくらいの感動でした。
あまりの感動に、寒気がおさまらないのです。
様々な国の人を間近に見るのも初めて。
話しかけられるのも初めて。
初めての乗り物、初めての食事。
2時間近く並んでアメリカ館で「月の石」を
見たあとに父は当時の「ソ連館」に向かう。
「なんで、ソ連にいくの?」
と言うと、「アメリカの次は、ソ連を見ないと
いけない」と説明になっているような、
なっていないような話をしてくれました。
こちらは、ガガーリンがいた。レーニンもいた。
そのレーニンが、私と同じ誕生日なんてことを
知ったのも万博でした。
この日を機に、私は世界地図と万博の
パンフレットとにらめっこ。
次に行きたい国を調べているうちに、
アフリカや中南米の小さな国まで
全て覚えていました。
そればかりではありません。
日本企業館のスローガンを書き出して、
片っ端から覚えました。
一体、なぜ企業スローガンを小4で
覚えたのか。理由は自分でもわかりません。
しかし、当時の私はコーフンして、
熱狂して、何かを書いたり、覚えたりせずには
いられなかったのです。
両親も積極的に連れて行ってくれました。
最高入場者数の日も、
最高気温の日も、
最終日も、時間を見つけては万博に行き、
そのたびに私はコーフンし、何かを
覚えていたのです。
今から思えば、この半年の経験が、
私を広告会社へと導いたのでしょう。
あの頃、熱心に読んだパンフレット、
覚えたスローガン、数々のイベントが
職業人としての礎になっているのです。
子どものうちに、こうした圧倒的な経験が
できたことを、神様に感謝しています。
あの、身の毛もよだつ感動が、今の私を
形成しているのです。
私の場合、それがたまたま万博でしたが、
今の子どもたちにもぜひ、こうした体験を
味わってもらいたいものです。
東京オリンピック・パラリンピックでもいい。
2025年の大阪万博でもいい。
平成から元号が変わる瞬間でもいい。
W杯ラグビーの日本大会でもいい。
これまで味わったことのない体験。
これから滅多に味わうことのない体験。
一睡もできなくなるくらい、コーフンして
身悶えして、
「僕も、何かをしなくちゃ!」
という思いにとらわれて、読んだり、書いたり、
覚えたりする。
人の人生は、案外こんな瞬間に決まるのでは
ないでしょうか。
私は今なお、万博のコトダマで生きています。
東京オリンピック・パラリンピック、
大阪万博と続く時期に子ども時代を過ごす
あなたも、ぜひ「ビッグイベントのコトダマ」で
身を焦がし、一生の財産を作って欲しいものです。