Vol.24 |
2019.03.11 |
調べもののコトダマ
次男坊の悲劇で、服はもちろん勉強道具も
お古ばかりでした。
机も蛍光灯も鉛筆削りもお古。
本もピアニカも絵の具道具もお古。
私の持ちものの大半は、兄の名前が
消された横に、私の名前が書かれていました。
その中で唯一、私のために父が買って
くれたのが国語の辞書でした。
「辞書だけは、自分のものじゃないといけない」
という父の奇妙な信念で、小学3年生のときに
新品の辞書を手に入れたのです。
嬉しかった。
パラパラとめくったときの紙の匂いが
今でも蘇ってきます。
辞書を使いたくて、新聞のスポーツ面を
読み始めました。
当時はあまり本を読む子どもでは
ありませんでした。
読書というよりは、知らない単語を
見つけてはそれを辞書で調べる方が好き。
高校時代に「広辞苑」を買ってもらうと
さらに拍車がかかりました。
大学で、クイズ番組のクイズを作るバイトを
始めると、一日中資料室にこもって、
辞書や事典をあたる日々を過ごすことに
なりました。
流行の恋愛小説や推理小説よりも
小難しい単語のある夏目漱石や芥川龍之介を
好んだのは、内容以上に単語を調べる面白さが
あったから。
「ぼんやり」を「盆槍」
と書く漱石が好きでたまらなかったのです。
子ども向けにコラムを書くようになったのを
きっかけとして、多くの保護者の方から質問を
もらうようになりました。
その中でも特に尋ねられるのは、
「読書好きにするにはどうしたらいいですか?」
というもの。
その答えを長く考えていました。
私も小学校のある時点までは全く本を
読みませんでした。
それが、変わっていったのは、知らない言葉を
辞書で引く楽しさを覚えた頃からです。
本を読むよりも前に、
「調べて、知る」楽しみを知った。
わからないことが、わかる喜びが体に
湧くようになってから、読書が楽しくなりました。
今はもう、スマホを使えば何でも調べる
ことができます。
分厚い辞書を引くなんて経験を子どもたちは
知らないで育つのかもしれません。
しかし、本当にそれでよいのだろうか。
調べ物が簡単になることに反比例して
「知りたい」という欲求や好奇心が
目減りするのではないかと古い私は
考えてしまうのです。
英語であれ、国語であれ、およそ
言葉を学ぶということは、知らない言葉を
知りたいと思う好奇心を育てることです。
「わかった!そういう意味だったのか!」
という小さな達成感が、語彙を増やし、
理論的にものごとを考える機会を増やして
いくのでしょう。
進学、進級を間近に控えたこのシーズン。
「調べ物のコトダマ」を味方につけたいものです。
知らないことを知る楽しさが、
勉強の醍醐味です。成長のエンジンです。
時代は変わっても、
「辞書だけは、自分のものじゃないといけない」
と言った父の言葉を胸に、平成の次の世も
精進していきます。