Vol.18 |
2018.12.10 |
メモのコトダマ
老人ホームに入っている母が
久しぶりに我が家に戻って来ました。
深夜に帰宅すると、テーブルの上に
青い紙がのっています。
見ると、
「あしたは、なん時?
電ち、買っておきました」
と書いてありました。
そういえば朝食の時に、リビングの
時計を指差し、
「止まっている」
と母が言っていたのを思い出した。
「あぁ」
と生返事を返したのを覚えています。
電池はどうやら止まった時計の
ものらしい。
それが証拠に、メモの横に時計が
おいてありました。
すでに寝ている母を起こさぬ様に
息を殺して電池を入れ替える。
青いメモを見ながら私はこれまで
何度、母のメモを見てきただろうと
考えたのです。
今は、LINEなどを使って簡単に
家族が連絡をとれる時代です。
机の上にメモを残す機会は随分
減りました。
しかし、手書きのメモには
スマホの画面からでは伝わらない
息づかい、思い、やさしさ、あたたかさ、細やかさ、熱さ、勢い、
心と体の
状態が伝わってくるものです。
ここ最近、母のメモを見ながら
「ひらがなが増えたなぁ」
と思いました。昔はメモも漢字で
きっちりと書く人だったもので。
わずかな機会に手書きでメモを残す。
これは思っている以上に大切な習慣
ではないでしょうか。
言葉では伝わらない言葉、
言葉を超える言葉があることを
子どもが知るいい機会だと思うのです。
同じようなことを、子どもから学ぶ
こともあります。
Aちゃんは、小学6年生。
私が教える文章教室には3年生から
通っています。
彼女は、ことあるごとにカードを
くれます。
感謝の言葉をしたためてくれるのです。
作文が学校でほめられたとき、
誕生日や出版のお祝い。
もっとささいなことにまで、
彼女は「ありがとう」と書いてくれます。
3年のうちに文字は随分と
しっかりしました。
漢字も増え、イラストも色使いも
上手になりました。
最近は、英語が混じります。
英語が好きだという彼女の文章の中には、
本格的な英文が見られるようになりました。
ここにも手書きの力があります。
成長を示し、勢いを伝え、希望を暗示する
力が、彼女の文字にはあります。
眺めていると、実に気持ちがいい。
どんな栄養剤よりも元気を与えてくれます。
母が老人ホームに戻り、家に帰ってもメモが乗っている
ことがなくなりました。
それが日常なはずなのに、何もない
テーブルが広く感じられます。
ふと見ると、新しい電池の入った時計は
コチコチと順調に時を刻んでいます。
私は捨てずにカゴにいれておいた
「あしたは、なん時?
電ち、買っておきました」
というメモを眺めました。
ここにもコトダマが宿っている。
メモのコトダマは、温かくも
ちょっと哀しく、ブルーの色合いを
増しているようでした。