研究紹介ファイル
No.23 李 暁燕氏
日本で暮らす外国人保護者支援の視点で「学校プリント」に着目
「学校プリント」は日本の学校文化の覗き窓です
母国の外国語大学で日本語教育に携わり、日本語は「できるほうだ」と自信があった李さんが「わからない単語がたくさんあって驚いた」のが「学校プリント」だったそうだ。
「日本の大学院に通うため、子どもと一緒に日本で暮らし始めました。子どもが小学生になると、学校から毎日のようにプリントをたくさん持って帰るのですが、読むのに時間がかかり正直負担でした。書いてある言葉も、集団登校、体操服、通学路、給食開始日etc. 意味はなんとなく想像できましたが" なるほど! そういうことなのか!" と理解するまでに苦労しました。」
自身の実体験から、日本の学校教育においては、プリントの配布が学校と保護者の主要なコミュニケーション手段になっており、「学校プリント」には学校の文脈から離れると意味がわからない「学校カルチャー語彙」が多数存在することに気づいたという李さん。
「同じ境遇の、日本語を母語としない保護者(以下、外国人保護者)の役にたつ研究ができたらと思ったのです。」
子どもを日本の学校に通わせている外国人保護者の中には、「学校プリント」を読解できず日々ストレスを感じている人や、読んでもわからないのでつい後回しにしてしまい、学校との間にトラブルが発生してしまった人が少なくないという。彼らが安心して子どもを学校に通わせ、また、日本の学校教育を理解できるようにするため、李さんは日本語教育の視点=外国人の視点から「学校プリント」の調査研究に着手した。
日本語教育の視点で学校プリントを解体
李さんは、学校が配布するプリントを読むための日本語教材作成を研究の最終目標とし、次の3つのステップで「学校プリント」を解析した。
Ⅰ:「 学校プリント」の読み方=読解ストラテジーを解明。どこが重要でどこを読み飛ばしてよいか、などを日本人保護者へのアンケート調査によって明らかにする。
Ⅱ:「 学校プリント」を多数収集し、日本語学習支援のためのデータベースを作成する。
Ⅲ: 外国人保護者にとって「学校プリント」のどこが難しいのかを確認。Ⅱのコーパス*1を利用して分析する。
まず、「学校プリント」の読み方を明らかにするため、プリントを「内容」と「形式」に分け、日本人保護者にアンケート調査を行ったところ、次のような「学校プリントの読み方」が明らかになった。【表1】*2
*1 言語資料。個別言語・発話などの情報を大規模または網羅的に集めたもの(『明鏡国語辞典』第2版)。
*2 [調査対象:日本人保護者22人(全員女性)、内訳:30代7人、40代14人、50代1人]
内容
- 「日時」「場所」「持ち物」「提出期限」が記載されているプリントを優先的に読む。
- 切り取り線があり、出欠を問うものは必ず見る。
- 「学校行事」や「お金に関するお知らせ」は特に注目して読む。
形式
- 枠で囲んである部分を読む。
- 下線が引いてある部分を読む。
- ※をつけている箇所を読む。
- 紙質/ツルツルした立派な紙質にカラー印刷されたものは、チラシや広告が多いので読み飛ばす。
- 紙質/わら半紙は「学校行事」や教室単位のお知らせの内容が多いので見る。
「切り取り線というものを、日本に来て初めて見ました。日本で育ち日本語を母語とする日本人保護者は、幼いころから学校プリントに慣れ親しんでいます。持ち物の項目にプールバッグと書いてあれば『防水機能のあるビニールバッグ』のことだとすぐ理解できますが、海外では、そもそも水泳の授業がないところも多く、布のバッグを子どもに持たせてしまう外国人保護者もおり、日本の学校では常識の範疇に入ることが理解できない場合があるのです。」
さらに「プリントのタイトル」を九つのカテゴリーにまとめ、「タイトルを見て、一瞬で読むか読まないかを判断できるか」を調査したところ、「判断できる」と回答した日本人保護者が63%もいることがわかった。つまり日本人保護者の多くは、プリントのタイトルを一瞥するだけで読むべき優先順位が高いプリントを選別する力を身に着けていると言えるだろう。【表2】
「子ども本人と直接関係のあるプリント、親が必ず反応する必要があるプリントは優先的に読むべきだとわかりました。」
また、プリントの重要性を見分けるコツや読み飛ばすスキルについて自由記述で回答してもらったところ、次のようなコツも判明した。
その他のコツ
- 時節のあいさつは読み飛ばす。
- プリントの発行先の署名欄に、PTA会長が小学校校長の上に書いてある場合はPTA関係が多いので目を通す。
- ほとんどの書類は「記」以下が重要なので、その部分を中心に読む。
「子どもが持ち帰るプリントは全部読まなくてもいいのだと、先にひとこと伝えてくれるだけでも気持ちが楽になります。この調査で、日本人保護者には自明の『学校プリント攻略法』=短時間で必要な情報を入手する方法を、外国人保護者に示すことができたと思います。」
李さんの研究の独自性は、学校が配布する文書を日本語教育の視点から調査・分析した点にある。学校プリントの「読解ストラテジー」は実にユニークな着眼点で、多くの日本語母語話者にとって「目からウロコ」ではないだろうか。
日本人にとっての常識が外国人にも常識とは限らない
が、外国人保護者に伝える読解ストラテジーとして、短時間で重要な情報を見つける能力だけでは不十分だと李さんは気づいた。学校プリント読解のためには「学校カルチャー語彙」の理解、その背後にある日本の学校文化を明示的知識として伝える必要があるのではないか。
「たとえば日本の給食制度は独特で、海外では弁当の持参や外食、保護者が届けるなど様々なやり方があります。幼少期に日本で暮らしたことのない外国人保護者は給食制度になじみがないため、給食費、献立表、給食開始日、給食袋といった言葉は理解しづらいのです。」
そこで李さんは、学校文書を読解するための日本語学習支援データベース「学校お便りコーパス」*3を構築した(4つの自治体の小学校から延べ810枚のプリントを収集、総文字数88万字超)。さらに継続助成でこのコーパスを発展させ「学校文書コーパス」へと拡張させた(5つの自治体の保育園・小中学校から延べ1,595枚のプリントを収集、152万字超を追加)。
このデータベースによって品詞ごとの出現頻度と共起関係(文章中にある単語が出たとき、同時に出現する単語が存在する関係。選挙と出馬、囲碁と打つ、など)を分析することができる。まず李さんは「学校お便りコーパス」から名詞2,186語を抽出し出現頻度の上位20語を明らかにした。「人参」や「牛乳」など給食・食育領域の名詞の出現頻度が高いことがわかる。【表3】これらは学校プリントの特徴語には違いないが、李さんが着目したのは「複合名詞」だ。
*3 学校お便りコーパスは一般公開されている。
http://lixiaoyan.jp
「中国語母語話者の保護者は、漢字文化圏という点から、非漢字圏の保護者より日本語理解が比較的有利だと考えられています。そこで中国籍の保護者3名(いずれも30代女性。日本語力は中級~上級)にインタビューを行ったところ、『中国語と同じ漢字語彙が使われていても組み合わせによってよくわからないことがある』という声が共通した意見でした。『自然』と『教室』はどちらもわかるが、『自然教室』(地域によっては『自然学校』)は初めて見たときはさっぱりわからなかった、と言うのです。学校プリントのわからなさは、複合名詞にあるのではと推察しました。」
そこで李さんは学校お便りコーパスを使って17,193語の複合名詞を抽出し、李さん自身の経験を踏まえて「学校の文脈から離れると意味がわからない」複合名詞を「学校カルチャー語彙」と定義し、出現頻度の高い順に50語を明らかにした。【表4】
さらに中国人留学生(大学院生、いずれも日本語能力N1)*4に学校カルチャー語彙上位50語の意味を書いてもらったところ、正解率はいずれも40%前後だった。日本語能力は高いのに、学校カルチャー語彙の理解力は低いことがわかった。たとえば「集団登校」は「仲良しの児童が一緒に学校に行くこと」「不良の集団が学校に行く」などの回答があった。また「鍵盤ハーモニカ」は誰も知らなかった。
「私自身、日本の幼少児教育では当たり前の『クーピー®*5』も『鍵盤ハーモニカ』も、実物を見せてもらうまで一切知りませんでした。」
*4 Nnは日本語能力試験(JLPT=Japanese‐Language Proficiency Test)のレベルを示し、高い順にN1〜N5にランク付けされる
*5 サクラクレパスの登録商標
継続助成では、さらに大規模な調査を実施し、日本人母語話者93人、外国人60人を対象としてアンケート調査を行った。*6調査対象者は保護者として学校カルチャーを経験していない者に限った。保護者の経験としての知識でなく、より一般的な理解度を確認するためだ。外国人調査対象者の日本語能力は全員N2以上だった。
調査の結果は【図1】の通りで、日本人の正答率は80%、外国人の正答率は45%だった。保護者としての経験がなくても8割の日本人が学校カルチャー語彙を理解していることがわかった。また、外国人の理解度が50%以下の語彙を次の4つのカテゴリーに分類した【( )内は正答率】。
*6 国籍別:中国(41人)、韓国(4人)、スペイン・フランス・ベトナム・トルコ・アメリカ(各1人)。有効回答数:日本人母語話者93人、外国人50人
1) 外国でも類似したモノ・コトがあるが、別の言い方で表す
連絡帳(17%)、朝読書(32%)、通学路(37%)、校区内(32%)
いわゆる「連絡帳」はあるが、「連絡帳」とは名づけられていない。児童の連絡先をまとめた一覧表(連絡簿)などを想起させる可能性があり、誤解を生む可能性がある。
2) そもそも外国で存在しないモノ・コトである
給食費(33%)、献立表(42%)、給食開始(27%)、給食試食会(27%)、クラブ活動(33%)、委員会活動(32%)、避難訓練(32%)、学級委員選出(0%)、その他 給食制度は日本独特の要素が多いため、理解度が低い。
3) そのモノ・コトはあるが、指しているモノ・コトが違う
資源回収(10%)、習字用具(23%)、開放プール(30%)、安全マップ(12%)、手提げ袋(28%)、道具袋(48%)、集金日(22%)
「安全マップ」は日本では危険な場所や安全な場所を児童に示すものだが、外国では避難場所や避難経路を示したものを指す。
4) 漢字の多義性から生じる誤解 「学級閉鎖」(8%)、学校便り(42%)
「同級生」という語は多くの外国人が知っているため、「学級」を「学年」と混同し、「学級閉鎖」が「学年全体が休みになること」と解釈される。「便」は交通手段を表す「便」だと勘違いし、「学校便り」は「学校へ行く交通手段」と誤解される。
「外国人保護者を支援する場合は、言葉のみの支援より、学校カルチャーを含めた日本の教育制度、学校事情、学校行事など日本人にとっては当たり前の事項を明示的に伝えるほうが効果的だと思います。たとえば給食文化に関しては次のような説明ができます。 ― 始業式の翌日は『給食開始日』が多く、子どもは毎日家庭からお箸とランチョンマットを入れた『給食袋』を持参して学校に行く。『給食費』は保護者に負担してもらう食材費のことである。」
続けて、
「子どもが給食当番になると、給食配膳のとき身に着けるエプロンと三角巾を週末に家庭へ持ち帰ります。学校プリントに洗濯をしてくださいと書いてあるのでそうしていましたが、ある日子どもが"お母さん、友だちのお母さんはアイロンをかけてるんだって"と教えてくれました。なるほどそういう暗黙のルールがあるのか、と知りました。」
日本の学校文化と隠れたカリキュラム
先行研究によれば、主に教師の無意識的・無自覚的な言動により、暗黙知として生徒へ伝わっていく知識・価値観、および行動様式などは「隠れたカリキュラム」と定義されているそうだ。日本の学校の隠れたカリキュラムには①平等主義の教育 ②長い導入と動機付けの優先主義 ③学習習慣・態度の形成 ④集団や仲間関係の重視⑤型から心へのアプローチ の5 つが挙げられているという。
日本の小学校における「隠れたカリキュラム」を明示化するため、李さんは埼玉県のある自治体の、新入学児童のための保護者説明会資料を分析した。その結果、入学説明会資料のトピックは「通学」「安全」「登下校指導」「保健」「給食」であり、最も多く使われた言葉は「慣れる」であった。
「通学」や「給食」など日本の小学校の特徴的な事柄に対して、子どもたちが直接経験する前から、まず本人でなく保護者を対象に説明会を行い、保護者を通じて子どもに伝え、「集団登校」などの学校的状況に参加させつつ、見よう見まねで学んでいくようなアプローチ(=長い導入と動機付けの優先主義)がなされていることを明らかにし、次のように考察した。
「日本の小学校へ行くと、どこの小学校にも似通った空気が漂っているなと感じます。同じような廊下で、教室に入ると黒板の上に『みんな仲良く』とか『いつも正直に』とスローガンが貼ってある。教室の後ろにはたとえばリンゴの木があって子どもたちの顔写真と並べて夢や抱負が書いてあり、皆が一本の木になっている。誰が上位だ下位だという順番がなく全員でひとつのものを形づくっているのが日本的だなと感じました。」続けて、
「実はコーパスを作る際に、収集したプリント内容に地域差があるのではないかとか、方言が使われているのではないか、と予想していたのです。結果、そういうものはほとんどなく日本の公立初等教育の均質性・平等性に感心しました。」さらに、
「面白いなと思うのは専用のバッグがたくさんあることです。手提げ袋、習字バッグ、裁縫バッグ、体操袋、給食袋、etc. 外国ならひとつの大きなバッグになんでもポンポン放り込むのでしょうが、几帳面さというか整理整頓を身につけるトレーニングを子どものころから受けているのですね。特に大きな特徴だと感じているのは、体から心へのアプローチです。体育の授業で体育館に入ると、日本の子どもたちは膝を曲げた山座りをします。大学の学生にも授業で話しましたが、海外へ修学旅行に行った日本の生徒たちがみな同じ座り方をし整然と並んで話を聞いている様子がSNSで拡散され話題になったことがあるのです。座り方、人の話を聞くときの態度、挨拶など、初等教育で身につけた型や体のトレーニングが行動様式になっていき、それが協調性や勤勉さにつながっているのでしょう。隠れたカリキュラムは子どもが暗黙的に身に着ける経験の総体です。」
外国にルーツをもつ子どもたちは支援されるだけの存在ではない
外国人保護者が学校プリントを読むためのストラテジーを、短時間で重要な情報を見つける能力と、プリントに埋め込まれた隠れたカリキュラムを含む日本の学校文化を把握し発行側の意図を的確につかむ能力、だと結論づけた李さん。今年の春には研究成果をまとめた『学校プリントから考える外国人保護者とのコミュニケーション』(李暁燕編著、くろしお出版)を発行した。内容は「外国人保護者の声」「学校教育現場の先生の声」「外国人保護者を支援する視点から」の3章からなり、複眼的な視点で外国人保護者支援の課題をとらえることができる。
「時間はかかりましたが、成果を還元することができてホッとしています。」
さらに、この研究成果を小中学校の教育現場に発展させたいと、今後の抱負を語ってくれた。 「外国人保護者もそうですが、外国にルーツをもつ子どもたちは、支援されるだけの存在ではありません。彼らはクラスメートに違う視点を提供できますし、違う言語を提供できます。外国人児童がもっているものを活用できれば、日本人の子どもたちにとっても得られるものがあるはずです。多言語多文化共生を視野に入れた提案をしていきたいと思っています。」
▲ 「研究成果をまとめた本は、ある大学の日本語教員養成プログラムの教科書として使われることになりました。 外国人を支援する多くの人に読んでもらいたいですね。」
▲学校プリントから考える 外国人保護者とのコミュニケー ション』 (李暁燕[編著] くろしお出版 2023 年3 月)