コラム

Vol.104

by ひきたよしあき 2024.02.15

「難しい」のコトダマ

私が小学生の頃は、今ほど塾や予備校が
充実していませんでした。
勉強は、自分で参考書を読み、問題集を解くのが
基本。何種類もの分厚い問題集が売られていて、
それを2、3冊やるのが受験勉強の基本でした。

塾や予備校は、時間が決まっています。やる気が
なくてもそこに行かなければいけない。半ば強制的に
自分を強いることができます。
しかし、独学となると意思の力が必要です。
私の時代は、スマホやゲームという誘惑はなかったの
ですが、テレビやマンガなど、勉強の意思を妨げるものは
いくらでもありました。
「勉強しよう!」とは思うけど、マンガの続きを読みたくなる。
いざ勉強机に向かうと、普段は気にもかけない部屋の汚れが
気になって掃除をはじめたりする。
意思の弱い私は、こうした誘惑に簡単に負ける。分厚い参考書は
いつまで経っても進まない状態が続いていました。

それを見かねた両親が、近所の塾を探してきてくれました。
塾と言っても先生が教えるわけではなく、こうした分厚い参考書を
もちこんで、自分で解く。わからないところがあれば教えてくれる。
そんな教え方でした。
はじめはいやいや通っていたのですが、先生の知識と話術が
ハンパではなかった。国語の問題で、宮沢賢治の文章がでると、
即座に宮沢賢治の生い立ちを面白おかしく話しだす。色々な作品を
紹介した上で、問題に向かいます。すると、不思議なほど文章が読める。
即席で宮沢賢治について知ったばかりなのに、

「賢治なら、こういうことを考えるよなぁ」

と一端の評論家みたいな気分で解けるのです。この勉強法で、私は
国語が好きになり、マンガよりも文章を読むことが楽しくなったのです。

問題は、苦手な算数です。国語が好きになると、どんどん算数が
後回しになる。国語は分厚い問題集をあっという間に終えたのに、算数は
手つかずでした。

先生もそれがわかっていたようです。

「この塾では、算数を勉強しなさい」

と言われてしまい愕然としました。また塾に行くのが嫌に
なりました。

暗い気持ちで、問題集を開く。先生がそれを見ている。

「どや?」

と尋ねられて、

「難しそう」

と答える。すると先生は笑いながら、

「この問題か。じゃ一緒に解いてみるか」

と言ってくれました。

図形の問題でした。先生はその図形を自分の
家に準えて、

「ここに犬小屋がある」

と言って、図形問題の一辺に犬の顔を描きました。
すると途端にわかりやすくなった。
先生の面白い解説を聞きながら、解くことができました。
次の問題もやってみた。図形に犬の絵を描いて、
「犬が動き回れる場所」という補助線を引く。
すると、解けた。
つまり私は、図形を見た瞬間に難しいと尻込みを
していた。
しかし、それをリアルな家や犬小屋の位置と置き換える
ことで、図形がわかりやすくなったのです。

「ええか。これはな、難しい問題やなくて、
難しそうに見える問題やったんや。尻込みする必要なんて
ないんやで」

という先生の言葉が今でも脳裏に浮かびます。

「難しい」のコトダマは、尻込みさえしなければ
「難しいに見える」コトダマなのです。

「難しい!」と思ったら「難しそうに見えるだけ」と考え直して
チャレンジする。
先生の言葉は、未だに私の中で生きています。
「難しい」のコトダマに支配されたとき、先生のやさしい笑顔を
思い出して、尻込みする自分を励ましています。

  • ひきたよしあき プロフィール

    作家・スピーチライター
    大阪芸術大学客員教授
    企業、行政、各種団体から全国の小中学校で「言葉」に関する研修、講義を行う。
    「5日間で言葉が『思いつかない』『まとまらない』『伝わらない』がなくなる本」(大和出版)、「人を追いつめる話し方、心をラクにする話し方」(日経BP)など著書多数。