Vol.82 |
2022.04.15 |
開き直りのコトダマ
中学3年の6月、突然、学校に行けなくなりました。
成績とか、人間関係とか、とくに悩んでいることもない。
ズル休みしたい気持ちもない。体も悪くない。
しかし、行こうと思うと、過呼吸になり、体がズシンと
重くなりました。
病院に行っても原因がわからない。
今のように心の病に神経を尖らせる時代でもなかったので、
しばらく学校を休みました。
休んでいると、元気です。
「あれ、この調子だと明日は行けるかも」
と思うのですが、翌朝また起きられない。
「受験」がプレッシャーなのかとも思ったけれど、
それを感じるほど勉強もしていない。わからないまま
夏休みに入りました。
その夏、私は突然、読書に目覚めました。
太宰治の「トカトントン」を読んで、
「あぁ、僕のことが書いてある!」
と思ったのです。
何かやろうと決心し、一生懸命取り組む
途中で、どこからともなく聞こえてくる
「トカトントン」という音。
それを聞くと、何もかもバカバカしくなって
気持ちも体も動かなくなる。
まだ経験の少ない私に太宰治の言葉は、
カラカラのスポンジに染み入る水のように
入ってきたのです。
8月。本来なら受験勉強をやらなくては
いけない夏休みを読書に費やしました。
図書館に行って、読んでいるので親は
勉強していると思っている。
しかし実態は、文庫に入っている太宰作品を
読んでいました。
9月になっても、学校には行けない。
祖母が、値のはる高麗人参を送ってくれた。
その苦さに閉口しているとき、
太宰のこんな言葉にであったのです。
「生活
よい仕事をしたあとで
一杯のお茶をすする
お茶のあぶくに
きれいな私の顔が
いくつもいくつも
うつっているさ
どうにか、なる」 (葉)
お茶のあぶくに自分の顔がうつることは
一度もなかったけれど、最後の
「どうにか、なる」
が力になった。シノゴノ考えるのを
やめて、「どうにか、なる」と開き直る。
理由はないけれど、未来を前向きに
断言する。
私はこの「どうにか、なる」という
開き直りのコトダマが体に入ったとき、
不思議なほど元気がでました。
朝、動けなくても、目を閉じて、
「どうにか、なる」
と念じている。しばらくすると動ける
ようになった。
その後、受験勉強の遅れに焦ったときも、
「どうにか、なる」
と唱えて前に進む。
不思議なもので、勉強はしなかったのに、
読書が凄まじかったおかげで成績は落ちなかった。
読解力がついた分、上がりました。
今でも時折、あの時期を思い出します。
何の病かがちっともわからない。
おばあちゃんの高麗人参と太宰の言葉で
癒された不思議な青春病の一時期を。
4月。新しい季節にとまどう人も多い
でしょう。
悩み、戸惑い、立ち尽くす人もいるはずです。
そんなとき、「どうにか、なる」という
開き直りのコトダマを服用してみては
いかがでしょう。
効き目に個人差はありますが、
何ごとも、どうにかなるものだと
前向きに開き直ることで立ち直れるときもある。
人生、案外、どうにか、なるものです。