Vol.61 |
2020.10.19 |
受験のコトダマ
大学の4年間、私は塾で国語を
教えていました。
対象は、高校受験をめざす
中学生でした。
「高校受験の国語なんて、
簡単に教えられるだろう」
と高を括っていた私は、
教壇に立ったとたんに往生
しました。
自分では「当たり前」と思って
いることが伝わらないのです。
「こういう考え方もできませんか」
「今の説明だと、なんで2番が
正解なのかわかりません」
英語や数学と違って、国語は
明快な答えがわかりにくい。
なぜ、その正解に至るのかを
説明するのが難しいのです。
控室で悩んでいると、先輩の
講師が声をかけてくれました。
元は中学の先生で、退職後に
ここで教えている方でした。
「一度自分で、試験問題を
つくってごらんなさい。三択問題の
文章も自分で全部作るんです。
正解も不正解も書いてみる。これを
やっているうちに、正解に至るまでの
プロセスを説明するのがうまくなります」
自分で問題を作る。
やったことがありませんでした。
ためしに夏目漱石の「三四郎」を
題材に、自分で問題を作ってみようと
考えました。
漱石の作品は、何度も試験問題に
使われています。参考になる設問が
色々な本に載っていたのです。
それらを参考にしながら自分で
問題を考える。
やりはじめた途端に立ち往生です。
「正解が、書けない・・・」
三択問題の正解を作ろうとしたの
ですが、考え方が曖昧で文章に
なりません。
いくつか書いてはみるものの、
「これは私の偏見ではないか」
と自分を疑ってしまいます。
不正解を作るのにも苦労しました。
誰が見ても不正解か、とりように
よっては正解にもとれるような
中途半端なものしか書けないのです。
「こんな未熟なものが、教壇に
立つなんて生徒に失礼だ」
と猛省しながら、なんとか設問と
答えを作りました。
それを元国語の先生に見せたところ、
「この選択文だと、こういう考え方も
成立してしまうよ」
「なぜ2番が正解なのか、わからないな。
たぶん、あなたの偏見が入っているの
でしょう」
先生のアドバイスは、日頃生徒たちが
私に「わからない!」と言ってくる内容と
酷似していました。
子どもだからわからないのではなく、
私の教え方、考え方が下手なのでわからない。
私の言葉は、高校入試を控える子どもたちに
応える「受験のコトダマ」に至ってなかったのです。
何度も落ち込みました。
そのたびに先生たちが丁寧に私を指導
してくれました。
また子どもたちの「わからない!」
「先生の説明、雑!」という言葉が
私を育ててくれました。
おかげで今でも私は、小説や評論文を
読むと、
「あぁ、この箇所で問題が作れるなぁ」
と考える。
未だに高校や大学受験の国語の問題集を
買って、ゲーム気分で解いています。
問題を解く側から、作る方へ回る。
立場を入れ替えたとたん、自分の
至らなさが見えてくる。
もしかするとこれは、受験だけの話ではなく、
様々な瞬間に役立つ人生のコツかもしれません。
先日購入した大学受験参考書に、
夏目漱石「三四郎」がでていました。
「お!まだ漱石を出題する学校があるんだ!」
とちょっと興奮。
解いてみたら、全問正解!
ここ数ヶ月の中で、一番嬉しい瞬間でした。