Vol.42 |
2019.12.02 |
他人のコトダマ
小学校3年生から6年生までの
作文を定期的に添削しています。
1回だけの子もいれば、3年生から
6年生まで続いた子もいます。
長く添削してくると、うまくなる子の
特長がわかってきます。
作文力ばかりか、読解力も見えてきます。
顕著に表れるのが、会話文。
カギカッコの中に文章を入れて
会話を作るときに、差が出てくるのです。
上手になる子の作文は、おかあさんの
言葉なら、それらしく書けている。
友だちの言葉も、その人らしい雰囲気が
よく出ています。
うまくならない子の作文は、
カギカッコの中の言葉に変化がない。
言うなれば、全部自分の言葉です。
人の言葉や考えをよく聞いて、
その人らしく書くことができないのです。
なぜこうなるのでしょう。
ひとつは読書量の差です。
物語を読めば、必ず会話文が出てきます。
同じ人間でも、性別、世代、職業
などによって喋り方や考え方が違うことが
わかる。
それを理解した上で相手の気持ちを
書けるようになるのです。
もうひとつは、人との接し方です。
たとえ本を読んでいなくても、相手の
立場になって考えることができる子が
います。表現は稚拙でも、「もし私が
相手だったら、こういうことを考える
かもしれない」という想像力に富んでいる。
だから会話にふくらみが出てくるのです。
こうした作文を読み、その子たちが
中学に進学したあとも、時折私の
講座に来てくれて、小論文を書いたり
プレゼンテーションをしてくれます。
小学生の頃よりも、人を思う気持ちが
進化して、親や教師の立場に立って
発言をしたり、SDGsのような社会問題
にまで鋭い言及をするのを聞いて、
「教養とは、こうして身につけていくものか」
と深く感銘しているのでした。
以前、養老孟司さんに二日間続けて
お話を伺う機会がありました。
そのとき、養老さんが、
「教養とは、他人の心がわかることだ」
と言われたのが忘れられません。
小説で、犯罪者の心理を読み、敵国のスパイ
の気持ちになって物語を読んでいく。
自分の書いた文章に対する批判文を
目を背けずに冷静に読み込んでいく。
こうした自分以外の者になり、
自分に反対する人のロジックを知る。
こういう努力なくして教養は身について
いかないものでしょう。
今は文章ばかりでなく自らの意見を
動画で語りかけられる時代です。
激しい断定や、ヘイトまがいの言葉で、
人の気持ちを煽り、「高評価」と「低評価」を
たくさんもらった方が儲かる仕組みになっている。
だから人の意見など聞かずに、どんどん
自分の思ったことを、包み隠さずしゃべることを
是とする風潮がありますが、果たしてそうなの
でしょうか。
私は子どもたちが、他人の心をわかろうと
した作文を書いていることにほっとします。
今の小学生たちがもう少し大人になって
ネット社会に出ていく時代は、
「他人の心がわかる教養」を身につけた
若者たちがネット環境を大きく変えてくれる。
「他人のコトダマ」に敬意を払い、
それを受け入れながら議論を深めていく。
そんな社会になることに密かに
期待を寄せています。