Vol.38 |
2019.10.07 |
浪人のコトダマ
私は、一年浪人して大学に入りました。
大学に落ちたことはショックだったけれど
周囲にも浪人生がたくさんいました。
だから浪人することに恥ずかしさや
悔しさをあまり感じることなく、
浪人生活に入っていきました。
生活は一変しました。
高校のように決まった講義はありません。
自分の受けたいコースを選び、さらに
不得意科目や受けたい授業を上乗せ
していくのです。
適当に組み合わせて、講義料を合算して
驚きました。
「え?こんなにお金がかかるの?」
今まで、授業にお金がかかるなんて
思ってもいませんでした。
ところが予備校の講義はお金がかかる。
さらに、人気講義は抽選になると知って
さらに驚きました。
両親にその金額を見せると、
お金のことは言わず、
「これで受かるのか?」
と父に言われました。
お金のことを言われるよりきつかった。
「はい」と答えるにはあまりに自信が
ありませんでした。
予備校に通い始めました。
慣れない環境です。
周囲は知らない人ばかり。
春の陽気、じとじとする梅雨、
例年よりも早い猛暑。
予備校生にとって気候はけっして
優しくない。
睡魔と疲労の戦いに負けて、
講義中にうとうとすることも
しばしば。
中だるみの頃になると、仲間が
できて喫茶店に入り浸ったり、
授業をサボって映画に行くことも
ありました。
しかし、心のどこかに「授業料」が
あった。
父の「これで受かるのか?」という
言葉が残っていました。
夏を過ぎると後期の払い込みを
しなくてはなりません。
また同じような金額がかかります。
しかし、後期は前期に無駄に思えた
講義はやめ、かなり絞ることに
しました。
予備校にいくことよりも、自分の
勉強時間を増やすべきだと考えたのです。
後期が始まったとたん、不安が
襲ってきました。
「みんなが受けている授業を受けてなくて、
大丈夫だろうか。自分の勉強は正しいの
だろうか」
ぽっかりと空いた時間の中、
猛烈な孤独と焦燥と不安に襲われ
身動きできなくなる。
「もういやだ。来年は大学に
授業料を納めたい」
朝の代々木駅の雑踏の中で、
身体中に響き渡ったこの言葉が
私の「浪人のコトダマ」でした。
この時代に学んだことはたくさん
あります。
その中でも大きなものは、
「有益な話を聞くにはお金がかかる」
ということでした。
父の「これで受かるのか」という
一言があったおかげでそれを余計に
感じることができたのかもしれません。
浪人生は、受験科目を学ぶだけではない。
社会の仕組みの一端を学びながら
大人への準備をする期間なのです。
浪人生よ、秋になる今が一番
苦しい季節です。
心より、応援します。