Vol.28 |
2019.05.13 |
所作のコトダマ
ファストフードの仕事をしていたとき、
お客様のゴミの分別の仕方が問題になった
ことがあります。
多くのお客様は、燃えるゴミと燃えないゴミを
分けてくれます。
コーヒーなどの飲み物の分別は、結構、面倒。
それでも、多くの方が、蓋とストローと紙コップを
分別して捨ててくれます。
ところが、お客様の中には分別せずに、
燃えないゴミに紙コップを捨てる人がいます。
ひどい時には飲みかけのコーヒーが残っているのに、
ポイっと捨ててしまう方もいます。
こういうゴミが出たときの後処理がいかに
大変なことか。少し考えればわかりそうなものです。
友人の田丸みゆきさん。
300年続く京菓子店の10代目女将です。
著書「愛される所作」の中で田丸さんは、
「日頃からよく使っているようなショッピングモールの
フードコートなどで、品格がでる」
と書いています。
食器を片付けたあと、テーブルの上の水滴や汁を
備え付けの台ふきんで拭いているか。
こういう日常のさりげない場面、カジュアルな
場所でこそ、人の日常が見える。
品位が問われると言うのです。
ファストフードの仕事でお客様のゴミの分別
問題で悩まされた経験のある私は、激しく同意しました。
こうした所作の多くは、親から子へと引き継がれる
ものでしょう。
親が、食べたものを分別しないで捨てれば、
子どもは、真似をします。
親が食べたものを返却口に戻さなければ、
子どもはその行為を「許されるもの」と考えて
しまうでしょう。
美しい所作や躾というものは、
茶道を習う以前に、親の日常の態度が養う
ものなのです。
付き合いの中で、時折、部下や後輩に食事を
ご馳走することがあります。
食事が終わって店をでるとき、日常の所作が
顔を出します。
立ち止まって、お辞儀をし、
「ごちそうさまでした」
という人は、カジュアルな店であっても
同じように丁寧に頭を下げます。
どんな高級店に行っても、全く何も言わない人も
います。
これをとやかく言うつもりはないですが、
身についている所作の美しさ、品格というものを
チラッと感じてしまうのです。
太宰治は、何人もの愛人を作り、
借金と酒浸りの生活を繰り返した無頼派の
作家でした。
しかし、魚の食べ方が恐ろしく綺麗だったと
多くの人が語っています。
津軽の大富豪の息子として生まれた彼には
常に子守り役がついていて、美しい所作を
厳しく教えたそうです。箸使いもきっと
この時に仕込まれたのでしょう。
その美しい所作が、無頼でありながらどこか
品格を感じさせる文章に潜んでいます。
所作のコトダマを、子どもに言い聞かせる。
日々のゴミ捨てや箸づかいにこれを発揮する。
これに厳しすぎることはないと思う。
そのためにも、まずは人に厳しくできるように
自らの所作を高めなくてはいけませんね。
ゴミの分別をしっかりとする。
まずはここから始めましょう。