Vol.125 |
2025.11.17 |
「躾」のコトダマ
大学生と食事することがあります。
最近の学生を見て感じるのは、食べ方がきれいなこと。
もしかすると私が気づいてなかっただけかもしれない。
また、たまたま私の周辺の学生がきれいなのかもしれません。
しかし、東京、大阪の大学を4校かけもちしている身として、それを感じざるをえないのです。
お茶碗に一粒を残さずにご飯を食べるのは当たり前。
魚も骨を残してきれいに食べます。
「きれいに食べるね」
というと、返ってくるのは決まって、
「うちの家は、食べ方にはうるさいんです」
という言葉。他のことは割と許してくれたけれど、食事のマナーだけはうるさかった。こういう学生が私の周辺には数多くいます。
先日、禅僧に悩みを相談していました。
ストレスが多くて、生活全体が雑になっているように感じていました。
僧侶の言葉は、こうでした。
「靴を揃えなさい」
私は、一瞬何のことかわかりませんでした。
「凡事徹底です。小さなことをていねいにこなす。靴を揃えることを毎日徹底すれば、自ずと他のこともていねいにやれるようになります」
「たったそれだけ」
と思ったのですが、実際に揃えてみると、不思議と心がスッとする。
そこで考えたのが、学生たちの食べる姿でした。
彼らの保護者の皆さんは、この凡事徹底を食事を通して学ばせたのかもしれない。
靴を揃える代わりに、しっかりとした箸遣いで食べる。
これを教えることで、立ち振る舞いすべてをていねいにする力を養わせたのではないでしょうか。
確かに、彼らは、机の消しゴムのカスをきれいにしてから席を立ちます。
髪の色は、金色に染めていたりもしますが、ドアを静かに閉めることができ、包装紙もていねいにあけます。
「食べ方以外はうるさくなかった」
と言いますが、その食べることを徹底したおかげで、彼らの動きはどこか優雅で、品よく感じられるのでした。
能楽に「居(い)ぐせ」という言葉があります。
体が自然に覚えてしまった動きや姿勢のことです。
この「居ぐせ」をひとつもっているのとないのとでは、後々雲泥の差になっていく。
凡事徹底していると、その動きが体にしみついて、何も考えなくても自然にその形になっていく。
この形を習得することを「躾」というのでしょう。
彼らがきれいにご飯を食べた茶碗からは、保護者の方の「躾のコトダマ」が聞こえてくるようです。
凡事徹底
あなたも靴を揃えるところから、はじめてみませんか。






