Vol.113 |
2024.11.15 |
評価のコトダマ
私が、小学校3年生のときのことです。
物語を書く国語の授業がありました。
私は、それどころではありませんでした。
数日前に、飼っていたセキセイインコを
自分の不注意で死なせてしまったのです。
そのショックで、食事も喉を通らない状況
でした。辛くて授業中に涙がでてきました。
「どうしたの?」
と顔を覗き込む先生。
「飼っていたピーちゃんを死なせちゃった」
とわけを話すと、先生が私の背中に
手をあてて、
「じゃ、ピーちゃんのことをお話しにしようか」
と言ったのでした。私は、先生の優しい手の
温もりに押されて、鉛筆を握りました。
死んだと思った大きな鳥が現れて、友人と
私を乗せて世界を飛び回る話を書きました。
この作文を提出した翌日、先生に呼ばれました。
「すっごく面白い。びっくりしました。
物語を書くの、上手だねー」
と、笑顔。そして、この続きを読みたいから
しばらく書いて欲しいと言われたのでした。
私の方がびっくりです。文章がうまいなんて
言われたことは一度もありません。
「ぴーちゃんが力をくれたんだ」
と思い、大きな鳥の物語を書き続けました。
原稿用紙をもっていくと、翌日は大きな花マルと
先生の感想が書いてありました。
「物語を書くの、上手だねー」
という先生の言葉。これがその後の私の人生を
決定づけました。父が転勤族だったため、
何度も学校を変わりました。学校が合わず、
休む日も増えていきました。
しかし、「私は、文章だけはうまい」という
思いに支えられて、本を読み、日記を書き、
時々物語を書いていたのです。
「文章がうまい」というのは、勘違いだったのかも
しれません。しかし、その勘違いを長く続ける力を
先生がくれたのでした。
人は、高く評価されることで、才能が伸びる。
ほめられることで、努力もできる。
今、私は、大学生に言葉を教える立場にあります。
自分が学生にかける言葉が、その学生にとって
どういう意味をもつのか。
それを考える時、いつも小学生だった頃に
先生に言われた
「物語を書くの、上手だねー」
を思いだします。
うまくいってないときは、励ます。
努力をしていれば、高く評価し、ほめる。
間違いを発見したり、批判するのは簡単なこと。
それよりも、落ち込んでいる私の背中に
手をあててくれた、あのぬくもりのような
高評価が大切だと確信しています。
「大きな鳥の物語」を書いた翌年、
私は全国の作文コンクールで優勝しました。
先生といっしょに新幹線で東京に向かった
日のことを昨日のことのように思い出します。
「作文、上手だもんね」
「先生に、もっといろんな話を読ませてほしい」
という新幹線の中で聞いた先生の「評価のコトダマ」が
今なお私を支え、学生を指導する道標になっています。