Vol.68 |
2021.02.15 |
日記のコトダマ
クラス全員で日記をつけ始めたのは、
小学校3年生のときでした。
毎日、日記を書いて提出すると、先生が2、3行の
コメントを書いてくれます。
大抵は、褒めてくれました。
落ち込んでいると、励ましてもらえました。
先生に褒められたかったのでしょう。
みんな、熱心に日記を書いていました。
大きな花まるをもらって見せびらかす友だちもいました。
ちょっぴり嫉妬したことを昨日のことのように思い出します。
進級して担任が変わると、日記には検印のハンコが
押されるだけになりました。
書く楽しみがなくなり、ありきたりのことしか
書かなくなりました。
義務になってしまった日記。
しかし、継続はやがて力になるもので、
1日の終わりに日記を書かないと落ち着かなくなった。
書かなかった時期もあるけれど、今でも日記を書いています。
立派なことを書いているわけではありません。
小学生の頃は、贔屓にしていた阪神タイガースの勝敗や順位。
中学になると好きな子への想い。
歯が浮く言葉が並び、とても正視できません。
会社に入ってからは、夕食のメニューばかり。
胸を張って「日記を続けています」と言える内容では
ありません。
悩んだ時は克明に書いています。
浪人時代、就活の頃は、何ページにも渡って
「苦しい、つらい」と泣き言を綴っている。
「こんなもんを書く暇があるなら勉強しろ!」
と昔の自分を叱りたくなります。
今の言葉でいうならば、「自己肯定感」がとてつもなく低い。
当時は必死だったのでしょうが、視野が狭い。世の中を知らない。
自分のことしか考えていない。
自分の弱さと了見の狭さに顔を覆いたくなります。
しかし、同時にこんなことにも気づきます。
どれひとつとっても、ずっと悩み続けているものはない。
昔どころかひと月前に悩んでクヨクヨしていたことですら
忘れているのです。
悩みにも旬があり、ブームがある。
それを過ぎると、風にさらわれたかのように
心配も不安も、怒りも悩みも怒りも消えていることに
気づきます。
私はここに「日記のコトダマ」を感じるのです。
「いいかい。おまえは一月前に何に悩んでいたか
すら忘れてしまう男なんだ。
日記がそれを証明しているだろう。
悩みなんてすぐに忘れてしまうもの。
だから安心して、今の悩みをとことんつきつめなさい」
これまでの人生、日記を書くことで何度救われ、
心が軽くなったことか。
日記の習慣をつけてくれた先生は、人生の恩人です。
今年も元旦から日記をつけています。
まだ1日も休んでいません。
「自粛、運動不足」「自粛、外食したい」
「自粛、夜なんども起きてしまう」と相変わらず
弱音と愚痴ばかり。
それでも日記は日記。毎晩書き続けます。