Vol.65 |
2020.12.14 |
座右のコトダマ
先日、全国の中高大学生に
向けたオンライン講座を開催しました。
みんなに「座右の銘」を書いてもらい、
それを発表するという内容です。
発表では、その言葉が自分の
「座右の銘」になるまでの過程も
語ってもらいました。
小学3年生の女の子が、
「ちりも積もれば山となる」
をあげました。
彼女は今、持久走の練習をしています。
彼女が言うには、この練習が「ちり」に
あたるそうです。
「じゃ、山は?」
と尋ねると、しばらく考えて、
「実力」と、一言。
見事な解釈です。私は、早くも唸りました。
中学生の女の子は、
「失敗は成功の母」
をあげました。
子どもの頃は失敗するのが大嫌いだった。
だから何もやらない子だったそうです。
それが中学に入ってテニスでダブルスを
組むようになった。
そこで、数多くの失敗を重ねたそうです。
彼女は、言います。
「失敗することで、自分の考えを
修正できるようになりました。
だから、失敗は成功の母です」
子どもの頃に怖がっていた失敗。
それが今は「考えを修正するためのもの」
になっている。
小学校の頃から彼女を知っている私は、
その成長ぶりに感銘しました。
中学生の男の子です。
「九転十起」
彼の通う学校の創立者の言葉だそうです。
「受験ですごく苦労した結果、
入った学校でこの言葉を知りました。
創設者は、会社が潰れても、おでんの
屋台をひっぱって再起し、財閥を作った
そうです。僕もそんな強い人間になりたい。
どんな手をつかっても、どんな状況でも、
必ず起き上がってみせる。これ、いいなと
思っています」
この子も小学生の頃から知っています。
心も体もかっこよく成長していました。
大学生からは、
「随所作主」(ずいしょさしゅ)
という言葉がでました。大学の教授に
教わった禅の言葉だそうです。
「どこにいても自分が主人公だと
いうこと。コロナ禍の影響で大学に
通えなくなりました。就活はリモートでした。
モニターに向かって話かける私は、一体
何者?「自分」を見失いかけていました。
「自分」がとるに足らない人間でしかないように
思えていたとき、どんな状況であれ、
自分が『主人公』なのだという言葉が胸に
突き刺さりました」
こうして、「座右の銘」が次々と紹介されて
いきました。
小学校の低学年でも、大学生でも、
多少表現力に差はあるものの、
言葉の心棒がある。
終わると、多くの生徒、学生、大人たちから
「また開催してほしい」
「刺激になった!面白かった!」
という感想が届きました。
私もみんなの語りを聴きながら、
言葉はけして、辞書に書かれた意味だけ
ではないこと。その人の体験を通じて
練り上げられていくものだと感じました。
まさに、言葉にその人の魂を入れること。
「座右のコトダマ」
とは、こういうものなのだと子どもたちから
学んだのです。
数年後、彼らの「座右のコトダマ」がどう
変化しているのか。
機会があれば、それもお伝えします。