Vol.63 |
2020.11.16 |
叱咤激励のコトダマ
小学生の頃、町の図書館で友だちと
大きな声を出して騒いでいました。
係の人がでてきて大きな声で、
「ここをどこやと思ってるんや!
こっちへこい!」
と怒鳴りました。
険しい形相で、ずんずん近づいてきます。
私と友人は、腕をぐっと掴まれ、
小部屋に引きずりこまれました。
そこで身が縮むほど叱られました。
その後しばらく、私は図書館に
近づけなくなりました。
しかし、運の悪いことに図書館で
調べものをする宿題が出た。
不承不承で図書館に行くと、
怖いおじさんの姿がすぐに目に
飛び込んできました。
体が反射的に逃げようとする。
すると、おじさんはニコニコしながら
話しかけてくれて、私の宿題に必要な
本の場所を教えてくれたのでした。
緊張して、そのときの会話を覚えて
ないのが残念です。
しかし私は、この体験で
初めて、図書館がどういう場所なのかを
知ったのでした。
「ソーシャルアンクル、ソーシャルアント」
という言葉があります。
子どもたちのために、おせっかいを焼き、
叱り、褒め、仲裁し、励ましてくれる大人のことです。
私の幼い頃は、町のあちこちに
ソーシャルアンクル、ソーシャルアントがいました。
私たちは、その人たちの言葉で育てられたのです。
名前は覚えていないけれど、ソーシャルアンクル、
ソーシャルアントの顔はしっかり覚えている。
今でも、図書館に行ったり、自転車に乗るとき、
その人たちの顔を思い出して、自分を戒める時が
あります。
その頃からすでに半世紀。
今は、見知らぬ子を叱りつけたら、
大問題に発展する可能性が大いにあります。
反対に、見知らぬ子を突然激励したら、
不審がられるでしょう。
「ソーシャルアンクル、ソーシャルアント」
を町で見かける機会はめっきり減ってしまいました。
しかし、昔、町に溢れていた
「叱咤激励のコトダマ」が消えてしまって
いいものなのでしょうか。
子どもは親や先生ばかりでなく、
善良な他人に叱られ、褒められながら
成長していくものだと私は思うのです。
「腕が振れるようになったら、走るのが早くなったな」
「こんな難しい本読むんか?偉いなぁ。秀才やな」
そんなソーシャルアンクルの一言が、
心に深く刻み込まれ、
私の自己肯定感の礎になっています。
なかなかできることではありません。
でも、私は昔出会ったソーシャルアンクル、
ソーシャルアントに倣って、
子どもたちを叱れる、褒められる、励ませる人に
なりたいと思っています。
リアルな社会で、子どものうちから
叱咤激励されることは、けして悪いことばかり
じゃない。
成長した子どもたちに、そう言ってもらえる
ように活動していくつもりです。