谷川俊太郎(たにかわ・しゅんたろう)
詩人。1931年東京に生まれる。21歳のときに、第一詩集『二十億光年の孤独』を発表。以来、詩作のみならず、絵本や翻訳、作詞なども手掛け、海外でも高い評価を得ている。
谷川俊太郎さんには、2022年3月に「もっと楽しくなる! 本の読みかた」コーナーのために、貴重なお話を伺う機会をいただきました。
ご逝去の報に接し、謹んで哀悼の意を表します。(2024.11.19)

ballon
 ぼくはひとりっ子で、家にひとりでいることが多かったから、子どものころは模型づくりなんかが好きだったんです。上手ではなかったけどね。本よりも、手を使ってなにかをつくることのほうが好きだった。
 でも、ぼくの父親が哲学を勉強した人だったということもあって、生まれたときから、本のまれて育ったようなものです。だからじつは、本にはちょっとうんざりしていたんですよ(笑)。あまりつよい愛着がないんです。
 もちろん、自分が育っていくうえで本が必要だったとは言えると思います。でも、親に「本を読みなさい」と言われたことは全然なくって、風邪をひいて寝ているときなんかに退屈なので、家中の本のなかから気になるものをきとって読んでいたのは思い出しますね。
 言葉の芸術のなかで、詩はいちばん自由なものです。ふつうの文章のように、ひとつのことを伝えるためのものではありません。だから、家電のトリセツみたいな気持ちで読みはじめると楽しめなくなってしまいます。

 詩というのは、意味がひとつではなく、たくさん重なっているものです。だから、読んでいてよくわからないということもあるでしょう。でも、それでいいんです。読んでみて、「なんか、いいな」と感じるだけでいい。作者だって、一篇の詩についてひとつの答えをもっているわけではありません。

 詩を読むときに、理解しなきゃと思うと、それが詩に近づくうえで邪魔になってしまいます。みなさんが歌を歌ったり音楽をいたりするときは、そんなことで悩んだりはしないでしょう。詩もおなじように考えてみてはどうだろう。詩は目で読むだけでなく、声に出して読んでみるのもおすすめです。詩は音楽の性質ももっていますから、声に出して音も楽しむほうが詩の意味に通じると思うんです。

 とにかく、楽しければそれでいい。よくわからないけどちょっといいな、と思ったものはそのまま置いておけば大丈夫です。もしかしたら、来年わかるかもしれないし、大人になってから思い出して、がいっぱいになるということもあるかもしれません。詩って、そういう不思議なことが起こるんですよ。

 詩にらないことですが、いろんなものを読んでいると、「つまらないな」と感じることもあるのではないでしょうか。ぼくは、この感覚をみなさんに大切にしてほしい。

「つまらない」というと、なにかわるいことのように思うかもしれません。みんながふだん、作品のいいところばかり言うからかもしれません。

 でも、名作と言われている作品が自分にとってはつまらないと感じることもあるでしょう。あるいは教科書にっているものだって、自分には退屈かもしれない。

 そこで、絶対おもしろく読まなきゃならないんだ、おもしろく感じない自分がわるいんだと思わないほうがいいですよ。

 自分がつまらないと感じるものは、自信をもってそう思っていていい。自分なりの好きいをハッキリ持てていれば、後から読み返したとき「あれ、これ、あのときはつまらなかったけど、いま読むとおもしろいな」と思えることもあるから。つまらないと感じられるからこそ、おもしろいとも感じられるわけだよね。

 最後に、詩との出会いについてです。みなさんが「ちょっとおもしろいな」とか「好きだな」と思える詩に出会えればいいなと思いますが、それは運しだいかもしれません。そういうものをおもしろいと思えるかどうかは、人ぞれぞれの生まれもった性質もありますし、偶然の出会いみたいなものに左右される場合がほとんどです。どれだけ別の人からめられたって、続かないものは続かないからね。もちろん、詩のようなものに関心がもてなかったら、別の自分の好きな方向に進んでいけばいいわけです。

 詩のようなものになにかひっかかりを感じて、詩の世界に入ってみたくなったとき、かならずしも詩集からはじめなければいけないわけではありません。じつは、詩以外のもののなかにも、ちょっと詩的なものがんでいるということはよくあるんです。いろんな芸術とか、あるいはみなさんが普段く音楽の歌詞なんかにもいいものがある。そのようなものが入口となって、詩に入っていく人もいます。

 もしだれかの一篇の詩を読んだあとで、その作者になにか感じるものがあったら、その詩人の詩集を読んでみたらいいと思います。もしかしたら、その作者の別の詩はおもしろくないと感じるかもしれないけどね。でも、そういうものにもれることで、しだいに詩の世界は広がっていくんです。

質問:詩はどんなときに読むのがいいですか。


谷川さんの答え:別にどんなときでもいいですよ。子どものころのぼくみたいに、退屈したら開いてみればいいんじゃないかな。詩を特別なものとして思わなくていいですよ。別のものを読んでいて、ちょっと詩も読んでみるかというのでもいいと思いますし。もし詩というものに関心がでてきたら、やっぱり静かなところで、ひとりで読んだほうがいいよね。あんまりがやがやしたところで読んでいても、なかなか頭に入ってこないでしょう?


質問:詩は自分なりの受けとめ方があっていいですか。


谷川さんの答え:もちろんです。詩はそのように楽しむものですから。詩は意味が何層にも重なっているものだから、ひとつの正解があるわけではありません。だから、自分なりに受けとって、なんかいいな、と思えればそれでいいんです。にすぐに説明がついてしまうような詩はあんまりおもしろくないよね。よくわからない場合でも、そのことを否定しないようにしていれば、その詩に近づいていくことができるんじゃないかな。

 ぼくが子どものころは戦争中で、戦地の兵隊さんにむけて手紙を書かされていました。でも、なにを書いていいかわからなくて、母にそう言うと、なにか遊んだことでも書けばいいのよって言われた。それがしくて、「戦地の兵隊さん、そっちは暑いでしょう?」なんて書いたら、兵隊さんは寒いところに行っちゃったりして(笑)。
 だから、すらすらと書けない人の気持ちはわかる気がします。もし本当に作文に困っている人がいたら、目の前にあるものや人を題材に書いてみればいいんじゃないかな。書いているうちに、つぎの言葉もかんでくると思うし。そのようなもののなかにも、ダイヤの原石のような言葉があると思うんです。