メニューボタン
  1. HOME
  2. 対談・コラム
  3. インタビュー「次の時代に求められる、ことばの力」
対談・コラム

インタビュー「次の時代に求められる、ことばの力」 (2/2)

奈須正裕(上智大学総合人間科学部教育学科教授)× 八木祥和(博報財団こども研 所長)

ことばの教育はどう変わるべきか?

八木 「ことば」をめぐる日本の教育の変化について、もう少し詳しく教えていただけますか?

奈須正裕(上智大学総合人間科学部教育学科教授)
奈須 今、学習評価をどうすべきかという議論が、小・中学校で広がっていますが、少なくとも中学校では、レポートをもっと評価対象にしてもいいのではないかという意見があります。こどもたちが自分の考えをまとめて整理して、ゆっくり時間かけて表現するレポートの方が、むしろ、その子の学力を的確に見ることになるのではないか、ということです。ただ、そういうと、面白いことに、多くの方が「レポートなんかにしたらみんな100点を取ってしまう」と反論します。つまり「レポート」は何か、理解していないんです。もっと言えば「レポート」とは、「何かをひき写してくること」だと思っている。逆に言うと「テストというのは何かを覚えるもの」としか思っていないわけです。そういうことが評価の議論で飛び出してしまうというあたりに、日本のことばの教育の問題があると思います。ある文章をもってくる、ある資料をもってくる時に、自分がその資料や文章のどこに着目し、それをどう再表現し、自分の表現として、あるいは2つの資料のどこに共通性を見つけ、その共通性を自分の表現としていくか、というところにオリジナリティがあるということが、多分この国はまだ理解されていないのですね。

ツールミン(Stephen Toulmin、1922年3月25日 - 2009年12月4日)の「三角ロジック」というものをご存知でしょうか。事実と意見の書き分け、エビデンスと主張を分けるという手法です。例えば社会科の歴史の中学校の授業の中で、「何でこういうことがあったのだろう」という問いがあると、「資料集の何ページにこう書いてあります」で終わるのが、これまでの日本の授業。本来は、その先に、その内容があなたの言いたいことにどう結びつくかという、もう一段階あるはずです。もっと言うと、一つの資料から可能な主張は複数あるはずなのに、そこが一段飛んでしまう。つまり、エビデンスと主張を混同していて、エビデンスを出せば、もうそれは主張になるし、その主張は一種類しかないと思い込んでいるのです。これは、論理ということの根幹に関わる問題です。エビデンスと主張を分けて、エビデンスからこの主張がどういう解釈、論理立てとなるか、ヨーロッパやアメリカなどはきちんとしていますが、日本はやってきていないんですね。

八木 事実と主張を分けること、そこをごっちゃにしてしまうと、そもそもロジカルな対話の前提が崩れてしまいます。確かに大事な基礎的能力ですね。さて、ここまで日本語教育における課題についてお話を伺ってきましたが、ことばには、教えるためのツール、という側面もあるかと思います。日本の教育指導の現場における「ことば」についても、その可能性をお聞かせいただいてもよろしいでしょうか。

奈須 日本は伝統的に、こどもはもともと良いもので、いろんな力を秘めている、だからこそ内面を引き出す、という教育を世界に先駆けてやってきています。今の総合的な学習の時間とか生活科とかにつながる、日本独自のものとして、日本の教師たちが生み出していますし、その根底には、こどものリアリズムを大切にする、という考え方があります。シュタイナー教育(※2)などは1919年にスタートしますが、その1919年に、実は日本でも奈良女子高等師範学校の附属小学校で、(今の奈良女子大学附属)、こども一人一人に委ねるとか、こどもが自由研究をするとか、今でいう総合的な学習の時間を始めていて、海外から来た視察団もびっくりしたようです。

例えば学芸大がOECDと組んで、日本の授業分析をして、そこでの発話や授業の進め方を解析していると聞いていますが、日本の教育の現場には、こどもの内面、こどもの力を上手に使って、しかもそれで対話的、協働的な学習を進めて、今日教えるべきことにきちんともっていく、という技術があることはずっと前から言われています。少なくとも小学校の伝統的な技術としては、ずっと脈々と存在している。ただ中学校・高校はどうかというと、こどもたちで議論させるとか、一人一人の考えを上手に出させるとかというよりも、先生が言いたいこと、この場で発言してほしいことを話させようとしていて、その点は少し問題です。ただ、それは教員の問題ではなく、大学入試があることが原因です。出口で、要素的知識を暗記で聞かれるから、そういう授業にならざるを得ない。それはアメリカやヨーロッパの場合は、出口が100%AO入試だから、私は何を考え、私は何をしたくて、そのためにこんなことをしてきた、と言わなければならないのです。

大学入試が変わる中で、若い先生がアクティブラーニングに向かっていますが、面白いのは、そういうことをやってこどもに委ねたり、一人ひとりのこどもにしっかり問いかけていくことにより、学びが活性化していくことだと思います。授業をまとめていくために、教員が発問するのではなく、「その子の今」を踏まえて問いかける。そうすることで仲間も「その子の今」に関心をもつとか、「自分はどうなのか」と振り返る、そんな方向に授業が変わりつつあります。そういう授業をすると、こどもも授業の内容により関心を持つし、何より先生にとってもやりがいが生まれる。大学入試という出口が進化する中で、結果的にこどもにとっても受験に受かる力が身につく。高校の先生方もそういうことを今後実感するようになると思います。

日本のこどもたちは、自分の考えをいう時に、帰納(※2)型というか、「まずこういうことがあります、次にそういうことがあります、だからこうです」、と言って、結論の遠いところから、ずっと説明して結論に辿り着きます。いわゆる起承転結みたいな論理です。起承転結は東洋的とも言えますが、海外の人からは「日本の学生は議論をするときにアンドを言う」、という指摘があります。「何とかですアンド、何とかですアンド」と言う。「次にこうです、次にこうです」と。何が言いたいかは、最後まで聞かないとわからない。それに対して、ご存知のように、アメリカの人は演繹(※3)型というか、常にビコーズと言いますね。まず結論を言って、「なぜ私がそう言うかというと、こういうことだから」という形。アメリカの演繹型と日本の帰納型では型が違うわけです。

面白いのは、歴史教育もそうだということです。「何時代があって、次に何時代があって......」、このことがあったから、このことがあったという風に日本では言いますが、アメリカの授業の歴史分析は、「こういうことがありました」「では何でこういうことが起こったのか」と必ず遡ります。第一次世界大戦が終わって皆戦争が嫌だと言ったのに、なぜ第二次世界大戦が起こったのだろうか?とか。ファシズムが台頭してきたから、ナショナリズムが台頭してきたから、と戻っていく。あるいは、大恐慌が起きて、世界経済が疲弊したが、世界経済が疲弊して、なぜドイツだけがファシズムになったのか、それはフランスが無茶な賠償金を要求したから、ダメージが大きいから、と戻る。ビコーズで戻っていく。どっちがいい、悪いじゃないんです。「型」が違う。その事実を理解した上で、日本的なやり方を見つめ直すことが重要ではないでしょうか。

八木 西洋の良さ。日本の良さ。それぞれの良さを理解した上で世界に羽ばたく人材を育てていくことが重要になる、ということですね。

奈須 今、グローバリゼーションということも人工知能(AI)化ということも、どちらかと言えば、欧米的なロジックとか、レトリックの下で進行していますが、欧米の型ばかりになってもいけないとは思います。とはいえ、その一方で相手の方法を知らないと戦えない、信頼されないということもあります。また、このことは教員の指導や学びの「型」の問題だけではありません。グローバルに活躍する人材育成のため、オーセンティックな学びで実際に社会を変えていくことをめざすとなると、官だけではとてもできることではありません。皆さんの関心事やご専門に引きつけて、こんなことができるんじゃないか、あんなことがいいんじゃないか、とアイデアを出し合っていただければ良い教育につながっていくだろうと思います。民間活力とかいろんな力、いろんな声が入ってこないと、教育はできません。つまり、狭い意味での学校的学力ではなくて、人生を切り拓いていく、一生涯にわたる実力を育てる場づくりのために、いろんなお声やお力をいただけたらなと思います。

ことばをめぐる教育においては、こどもたちには、社会とつながる学びの中で、日本的な、日本語的なものに価値を見出しながらも、少なくとも欧米的な伝統の中にもっているものを知るとか、それを使えるようにすることは、実利的にはやった方がいいでしょうね。むしろ、それに乗ったその先に、逆に彼らがもっていない東洋的な、日本的なものが武器になります。そのためにも、このタイミングで、日本語を中心にしたことばの教育をどうするかを見直す必要があります。日本語と、日本のことばを取り巻く文化の強みと弱みを整理する必要がある、ということですね。今、弱みばかり目立ってきていますが、日本語ならではの強みは当然あります。ただ、それが何なのかが曖昧な気がします。これからのグローバル社会において、それぞれ文化の良いところをバランスよく取り入れた上で、こどもたちには「ことば」をつかって活躍してほしいです。

インタビュー日程:2018年6月18日

※1 修辞学
弁論・叙述のための技術を学ぶ学問分野。 雄弁術、弁論術、説得術、レトリック

※2 シュタイナー教育
20世紀初頭に、オーストリア(現在のクロアチア)生まれの哲学者、ルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner、1861年2月27日-1925年3月30日)によって提唱された教育思想。知的な経路を通じた学習は教育のほんの一部に過ぎないと考え、感情や意志に働きかける総合芸術としての教育を目指す

※3 帰納(法)
類似の事例を元にして、一般的法則や原理を導き出す推論法のこと

※4 演繹(法)
前提となる事柄を元にして、そこから確実に言える結論を導き出す推論法のこと。

1  2 
PAGE TOP